第一話 新宿の朝(8)
中森明夫『東京トワイライトエイジ』

​東京の黄昏を生きるすべての世代のために!  昭和/平成グラフィティー。
アイドル、ライター、カメラマン、作家、エディターたちが繰り広げる、あのころの物語――。
『東京トンガリキッズ』の中森明夫が贈る渾身の青春小説、連載開始!

 

 

 〈チチ キトク スグニレンラク コウ〉
 高円寺のアパートに電報が届いた。
 父は大阪の病院に入院している。がん治療で有名な病院だと知らされた。
 末期の肺がんなんや、父ちゃんにはな、告知しとらん……と母は苦しそうに言う。私が知らされたのは、もう父がほとんど動けなくなった頃である。
 新幹線に飛び乗って、大阪へと向かう。
 病室に入ると、暗い。ブラインドが降ろされていた。不吉な影に、目を凝らす。父は寝ていた。酸素吸入器で口をふさがれ、体中に管がつながれている。そばへ行き、覗き込むと、やせこけ、干からびていた。別人のようだ。あのぎょろりとした目の赤ら顔、壮健なおやじではなかった。
 母にうながされ、手を握った。かつて私を殴った父の手を。冷たく、ぐったりとして、力がない。愕然とした。
 これはもう、ぬけがらだ。
 ほどなく、息を引き取った。五十四歳だ。こんなもんか。あまりにも、あっけない。
 涙は出なかった。どう受けとめていいか、わからない。頭の中が真っ白だ。
 十九歳だった。
 父の死を想う時、いまだ病院での最期の光景が浮かばない。
 新宿駅のホームでヘルメットの若者らの群れに埋もれ、一人ぽつんと立ちつくしていた、その姿ばかりが甦ってくる。
 ああ、そうだった。既にあの時、私は父を見失っていたのだ。
 新宿で――。

 

 このあたりで私と新宿との親密な関係は終わる。
 二十歳になった。
 それが何か影響があるのだろうか? もちろん、その後も新宿へ行くことはあった。だが、昔のような気持ちにはならない。もう、特別な場所ではなかった。そこにあるのは、何の変哲もない繁華街の一つにすぎない。
 かつて私が十五歳で迷い込んだ魔窟、私を恐れさせ、踏みにじり、路上に寝かせ、犯した……悪い女のような妖しい街は、もはやどこにも存在しない。
 時折、思う。
 よく私のような男が生きてこられたものだ。こんな都市(まち)で。いつしか文章を書く仕事に就いていた。東京でなければ、ありえなかったことだろうな。二十歳で初めて原稿料をもらった。
 ずっと中央線沿線のアパートに住んでいたが、がらりと行動範囲が変わった。新宿駅では降りずに、通り過ぎる。出版社のある街へと行った。
 一九八〇年代に入って、明らかに風向きが変わる。闇が消え、湿度が失せて、空気が乾き、光を帯びた。何の間違いだろうか? 私はいささか脚光を浴びて、“新人類の旗手”と呼ばれる。
 二十五歳だった。
 取材が殺到して、テレビ局を飛び廻る。西麻布のカフェバーとやらで、毎夜、カタカナ職業系ギョーカイ人らと遊び廻る。
「お~、君が中野秋夫くんか?」
「新人類の?」
「チェッカーズのフミヤに似てるじゃん!」
「こないだNHKの『YOU』に出てるの、見たよ」
 笑っちゃうね。新人類? 新時代の若者代表? はっ、ついこないだまで新宿の道端で寝ていたこの俺が!
 まあ、いいや。せいぜい時代の風に乗って、凧(たこ)みたいに舞い上がって、メディアの表層で浮かれ踊っているさ。
 スーツを着た社長の息子らボンボンと高級車に乗り、夜の東京をクルージング! 突然、ボンボンが「うっ」とうめいてハンカチを取り出し、口を覆った。大ガードを抜け、靖国通り、歌舞伎町のアーケードが見えてくる。
「……新宿だ。うえっ、気持ち悪い。ボク、ここダメなんだよ。汚くって、臭い~。勘弁してくれ。新宿の空気、吸いたくない……」
 ぎょっとした。えっ、そうか、新宿は臭かったのか! 俺はずっとこの汚くて臭い街で生きてきたんだ。ああ、自分の体には新宿の悪臭が染みついている。車窓の向こう側に広がる、歌舞伎町のけばけばしいネオンを見つめ、ため息をついた。

(つづく)

東京トワイライトエイジ

中森明夫

作家/評論家。三重県生まれ。1980年代から、ライター、エディター、プロデューサーとしてさまざまなメディアで活躍。著書に、『アナーキー・イン・ザ・JP』、『東京トンガリキッズ』、『アイドルになりたい!』などがある。Twitter:@a_i_jp
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