akane
2019/03/26
akane
2019/03/26
〈チチ キトク スグニレンラク コウ〉
高円寺のアパートに電報が届いた。
父は大阪の病院に入院している。がん治療で有名な病院だと知らされた。
末期の肺がんなんや、父ちゃんにはな、告知しとらん……と母は苦しそうに言う。私が知らされたのは、もう父がほとんど動けなくなった頃である。
新幹線に飛び乗って、大阪へと向かう。
病室に入ると、暗い。ブラインドが降ろされていた。不吉な影に、目を凝らす。父は寝ていた。酸素吸入器で口をふさがれ、体中に管がつながれている。そばへ行き、覗き込むと、やせこけ、干からびていた。別人のようだ。あのぎょろりとした目の赤ら顔、壮健なおやじではなかった。
母にうながされ、手を握った。かつて私を殴った父の手を。冷たく、ぐったりとして、力がない。愕然とした。
これはもう、ぬけがらだ。
ほどなく、息を引き取った。五十四歳だ。こんなもんか。あまりにも、あっけない。
涙は出なかった。どう受けとめていいか、わからない。頭の中が真っ白だ。
十九歳だった。
父の死を想う時、いまだ病院での最期の光景が浮かばない。
新宿駅のホームでヘルメットの若者らの群れに埋もれ、一人ぽつんと立ちつくしていた、その姿ばかりが甦ってくる。
ああ、そうだった。既にあの時、私は父を見失っていたのだ。
新宿で――。
このあたりで私と新宿との親密な関係は終わる。
二十歳になった。
それが何か影響があるのだろうか? もちろん、その後も新宿へ行くことはあった。だが、昔のような気持ちにはならない。もう、特別な場所ではなかった。そこにあるのは、何の変哲もない繁華街の一つにすぎない。
かつて私が十五歳で迷い込んだ魔窟、私を恐れさせ、踏みにじり、路上に寝かせ、犯した……悪い女のような妖しい街は、もはやどこにも存在しない。
時折、思う。
よく私のような男が生きてこられたものだ。こんな都市(まち)で。いつしか文章を書く仕事に就いていた。東京でなければ、ありえなかったことだろうな。二十歳で初めて原稿料をもらった。
ずっと中央線沿線のアパートに住んでいたが、がらりと行動範囲が変わった。新宿駅では降りずに、通り過ぎる。出版社のある街へと行った。
一九八〇年代に入って、明らかに風向きが変わる。闇が消え、湿度が失せて、空気が乾き、光を帯びた。何の間違いだろうか? 私はいささか脚光を浴びて、“新人類の旗手”と呼ばれる。
二十五歳だった。
取材が殺到して、テレビ局を飛び廻る。西麻布のカフェバーとやらで、毎夜、カタカナ職業系ギョーカイ人らと遊び廻る。
「お~、君が中野秋夫くんか?」
「新人類の?」
「チェッカーズのフミヤに似てるじゃん!」
「こないだNHKの『YOU』に出てるの、見たよ」
笑っちゃうね。新人類? 新時代の若者代表? はっ、ついこないだまで新宿の道端で寝ていたこの俺が!
まあ、いいや。せいぜい時代の風に乗って、凧(たこ)みたいに舞い上がって、メディアの表層で浮かれ踊っているさ。
スーツを着た社長の息子らボンボンと高級車に乗り、夜の東京をクルージング! 突然、ボンボンが「うっ」とうめいてハンカチを取り出し、口を覆った。大ガードを抜け、靖国通り、歌舞伎町のアーケードが見えてくる。
「……新宿だ。うえっ、気持ち悪い。ボク、ここダメなんだよ。汚くって、臭い~。勘弁してくれ。新宿の空気、吸いたくない……」
ぎょっとした。えっ、そうか、新宿は臭かったのか! 俺はずっとこの汚くて臭い街で生きてきたんだ。ああ、自分の体には新宿の悪臭が染みついている。車窓の向こう側に広がる、歌舞伎町のけばけばしいネオンを見つめ、ため息をついた。
(つづく)
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.