第一話 新宿の朝(9)
中森明夫『東京トワイライトエイジ』

​東京の黄昏を生きるすべての世代のために!  昭和/平成グラフィティー。
アイドル、ライター、カメラマン、作家、エディターたちが繰り広げる、あのころの物語――。
『東京トンガリキッズ』の中森明夫が贈る渾身の青春小説、連載開始!

 

 

「絶対にやめたほうがいい!」
 周りの編集者やライター仲間は、みんなそう言った。「平凡パンチ」から対談の依頼があったのだ。相手はひと廻り歳上の作家である。百キロ以上の巨漢でコワもて、酒場で同業作家や編集者を殴ったり、夫婦げんかで冷蔵庫をぶん投げたり!? と暴力的な伝説は数知れず……びびった。
「おまえ、絶対に殴られるぞ!」
 さんざん脅された。
 それでも引き受けたのは、その作家の本を読んでいたからである。十代の頃、家出して転がり込んだアパートの本棚で見つけた。巨漢作家の風貌に似合わず、文章は繊細で美しい。心に残った。
「へぇ、家出先で俺の小説をねぇ……」
 目の前の男は微笑んでいた。赤坂の料亭の個室だ。
「全共闘世代の武闘派作家と新人類の旗手の対談です」とかなんとか、司会の編集者は口上を述べている。
 男は早々と酒に酔い、目もうつろだ。殴られるんじゃないか、と私はびくびくしていた。自分の生まれ故郷のことをぼそぼそしゃべる。
「お~、三重出身なの? 俺は隣の和歌山だよ」
 笑うと、ゾウのように目が小さくなった。
 乏しい読書体験を私は語る。
「へぇ、なかなかわかってるじゃないか、おい。おまえは小説を書けるよ。書ける。絶対。来いよ、文学へ!」
 マジか。“文学”なんて真顔で口にする男と初めて会った。苦笑した。内心。でも、顔には出さない。
 「気に入った。もう一軒、行こう!」
 対談を終えて、河岸を変えることになった。タクシーの後部座席に並んで座る。ふいに男が私の手を握った。酒臭い息で耳許で囁いている。
「おい、どうだ……『文學界』新人賞、獲るか?」
 えっ、何を言っているか、わからない。返答に窮した。
「俺が……獲らせてやろうか?」
 男は文芸誌の新人賞の選考委員を務めているという。
 私は身を堅くした。少年時代、映画館の暗闇で見知らぬ男に手を握られたり、抱きすくめられたりした時の記憶が甦ってくる。
 “文学”をやるには……この男と寝なければならないのか?
 身が震えた。
「い、いや……遠慮します」
 蚊の鳴くような声でやっと言う。
 ちっ、と男は舌打ちし、それから笑った。
 顔をそむけ、私は車窓を見つめる。まぶしい。夜のネオンが見えてきた。
 新宿だ。
 ゴールデン街の入口で車を降りる。男は風を切って、夜の新宿の街を歩いてゆく。その背中が大きい。路地裏で男と並んで立つ姿を同行のカメラマンに撮られた。愚連隊の兄貴分とその舎弟――といった風情だ。
 その夜は何軒かハシゴして、したたか酔った。最後は新宿三丁目のはずれにある薄暗い店だ。文壇バーだという。
 男がその店へ入っていくと、「おっ」と声が上がり、店内の空気がぴりっとする。男は周囲をにらみつけた。
 あら、とカウンターの向こうのママらしき女が笑っている。
 何を話したか、あまり覚えていない。したたか呑んで、酔っ払った。店を出ると、もう外は明るい。
 夜明けの新宿の路上で、別れた。別れ際に、じっと私の目を見つめ、男は言った。
「文学をやれよ、文学を!」

 

 その後、私が“文学”をやることはなかった。男の指令で派遣されてきた何人もの文芸編集者の小説執筆の依頼を、すべて断った。
 小説だって? はっ、冗談じゃない。そんなのとても書けないし、書くヒマだってないよ。鼻で笑っていた。
 何度か男に呼び出され、新宿のバーで呑んだ。が、やがて気まずくなって、もう会わなくなる。真夜中、留守番電話に酔っ払った男の声で、メッセージが入っていた。意味不明のつぶやきが、怒鳴り声になり、最後は涙声に変わっている。
 数年後、男の訃報を聞いた。四十六歳だという。早いな。うちの父親よりずっと若く逝っちまった。まあ、あれだけ毎晩、めちゃめちゃやってたら、そりゃそうなるか。通夜も葬式も行かなかった。
「文学をやれよ、文学を!」
 男の声を思い出して、時折、胸が痛んだ。笑ったら無くなってしまうゾウのような目をしていた。結局、殴られなかった。私には一貫してやさしかった。真夜中の新宿を肩で風を切って歩く、大きな、大きな背中の男だった。

(つづく)

東京トワイライトエイジ

中森明夫

作家/評論家。三重県生まれ。1980年代から、ライター、エディター、プロデューサーとしてさまざまなメディアで活躍。著書に、『アナーキー・イン・ザ・JP』、『東京トンガリキッズ』、『アイドルになりたい!』などがある。Twitter:@a_i_jp
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