第一話 新宿の朝(15)
中森明夫『東京トワイライトエイジ』

bw_manami

2019/04/04

​東京の黄昏を生きるすべての世代のために!  昭和/平成グラフィティー。
アイドル、ライター、カメラマン、作家、エディターたちが繰り広げる、あのころの物語――。
『東京トンガリキッズ』の中森明夫が贈る渾身の青春小説、連載開始!

 

 

 やりきれなくなって、行くところといえば、どこだろう。
 あそこしかない。
 バーの扉を開くと、笑顔が目に飛び込んできた。先生が笑っている。
 カウンターの隅っこにモノクロの写真が立てかけられていた。その前に小さなグラスが置かれ、薄ーい水割りがある。
 私も水割りをもらって、献杯した。
 写真の中の先生の、あの魔力的な笑顔に向かって。
 その夜は、したたか呑んだ。酔っ払った。
 もう、二度と先生と呑むことはない。
 たった一人だ。
 そう、この街で自分は……。
 真夜中に店を出て、ふらふらとした足取りで歩く。暗い裏通りを。四谷四丁目のマンションに向かって。歩いて十五分だ。
 ああ、とうとう逃れられなかったな。
 新宿の引力から。
 ずっとここから離れようとしていたのに。
 十五歳で上京して、歌舞伎町で迷子になった。あの時から何も変わっていない。今でも自分は迷子のままだ。永遠の迷子だ。私はいったいどこへ向かって歩いているのか?
 この街で父を見失った。
 暗闇の向こうに、いくつもの顔が浮かび上がる。
 画家の西園寺さん、巨漢作家、そして、東部先生……。新宿の街で、彼らについていった。それがどこへ行くのか、どんな天国か、地獄へ続いている道かもわからないままに……。
 目の前の男の背中を追いかけた。疑うことなく、何も考えないで、ただひたすら。
 だが、みんないなくなってしまった。
 たった一人だ……。この街で。
 足がふらつき、よろけ、倒れそうになる。道路沿いの建物の壁に手をついた。
 倒れるな。今、倒れたら、もう起き上がれないぞ。そしたら道端で寝てしまう。この寒さで寝たら、凍える。死ぬぞ。

 あれはいつだったろう、新宿の路上で寝た時のことを思い出した。
 あの女の子の顔を。
 金色の髪をして、捨てられた人形のように、道端で寝ていた……少女娼婦。
 ネコだ。
 ネコ、どこにいるんだ? もう死んでいるのか? 薄汚れて、ぼろぼろで、臭かった。
 ぱっと目を開けると、異様に瞳が澄んでいた。宝石みたいに。夜明けの空が映っていた。
 若さなんて信じない。若い奴なんて大嫌いだ。自分が若い頃も嫌だった。
 それでも……。
 若さの特権を考える。
 たった一点、光っているところがあればいい。あとは薄汚れていたって構わない。その一点で、すべてが許される。それが若さだ。路上で寝ていた、あの少女の瞳のように。
 私はもう若くはない。老いぼれだ。一点も光っているところなんかない。ただの醜い酔っぱらいだ。ああ、今の私にはもう、路上で寝る権利なんかないんだ。
 雨の夜にずぶ濡れで、ひざを抱えて道端で震えていても、ひろってくれる女なんかいやしない。
 よろけて、つまずき、とうとう倒れてしまった。もうダメだ。立ち上がれない。路面が頬にあたって、痛い。冷たい。体じゅうが芯まで凍え、それから、あったかくなってきた。初めて抱かれた、あの女の肌のように。
 ああ、ずっと私は、この女に抱かれてきたのかな? 生きてきたのかな?
 都市(まち)は人を子供にする。
 新宿は私を身なし子にした。
 意識が遠のいてゆく。途切れて、闇がすべてを覆いつくす。なんとか目を開けた。路上で仰向けに倒れたまま。
 ああ、俺……。
 生きてるのかな、死んでいるのかなあ?
 目の前に、薄い青が見える。
 新宿の朝だ。

(第一話・了)

東京トワイライトエイジ

中森明夫

作家/評論家。三重県生まれ。1980年代から、ライター、エディター、プロデューサーとしてさまざまなメディアで活躍。著書に、『アナーキー・イン・ザ・JP』、『東京トンガリキッズ』、『アイドルになりたい!』などがある。Twitter:@a_i_jp
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