第二話 おたく命名記(2)
中森明夫『東京トワイライトエイジ』

​東京の黄昏を生きるすべての世代のために!  昭和/平成グラフィティー。
アイドル、ライター、カメラマン、作家、エディターたちが繰り広げる、あのころの物語――。
『東京トンガリキッズ』の中森明夫が贈る渾身の青春小説、連載開始!

 

 

〈中野秋夫の名前は、「おたく」の名づけ親として歴史に残るだろう〉
 かつて、そう書かれたことがある。
 実際、今では世界中でもっとも読まれているという国際大百科辞典の「OTAKU=おたく」の項目には、以下のように記されているらしい。
〈一九八三年、ライターの中野秋夫が「漫画ブリトー」誌に連載したコラム『「おたく」の研究』によって命名された〉
 なるほど、一九八三年か……。
 はるか遠い昔の話だ。たしかに私はライター、そう、フリーライターだった。どうしてこの仕事に就いたんだろう?
 ああ、そうだった。
 二十歳の時だ。
 高円寺の街をぶらぶら歩いていると、大学生ふうの青年があたりを見廻している。
「あ、ちょっと、すみません」と声かけられた。手にしたメモを見て、書店の場所を訊いたのだ。
 なんでも本の情報雑誌のバイトをやっていて、高円寺の書店マップを作るため、取材に来たという。私は本が好きだった。高円寺の書店のことなら、よく知っている。
 それなら、と各書店の傾向や特色、雰囲気……あそこの古本屋さんには大きな白い猫がいつも寝そべっていてね、といったエピソードまでくわしく話した。
 青年は路上で何枚もメモを取り、「ありがとうございます! 助かりました」と頭を下げた。
 しばらくして掲載雑誌が送られてくる。
 高円寺の書店マップのページは、やけにくわしくにぎやかで、古本屋さんで寝そべっている白い大きな猫のイラストまであった。
〈おかげさまで充実したページになりました。ぜひ一度、編集部まで遊びにきてください〉
 神田のはずれにある雑居ビルを訪ねた。
 ビルの一室にある編集部は雑然としている。奥のデスクに座るいかつい感じの中年男が、「おう、君か」と対応してくれた。濃いモミアゲで三白眼、分厚い胸板、ワイシャツの両腕をまくりあげている……編集長だという。
 脇の狭いソファに座り、出がらしのお茶が出た。
「君は何、本が好きなの?」
 ええ、まあ……と、つらつらと自分の読書体験を三十分ほどはしゃべったろうか。
 すると、編集長は言った。
「君、うちの雑誌で原稿を書いてみないか?」
 驚いた。編集長はまだ私の文章を一行も読んでいないのだ。そもそも自分はライター志望ですらない。
 そんな私が原稿を書いた。
 初めて原稿料をもらった。
 信じ難いことだが、なんと私は街で声をかけられて、二十歳にしてライター・デビューを果たしたのだ。
 一九八〇年のことだった。
 どう言ったらいいだろう、あの頃のあの感じを。なんだか街の気配が、少し変わったような気がする。時代の空気とでもいうのかな、それがちょっと軽くなった。
 七〇年代はいささか重かったよ。
 重力から解き放たれ、二十歳の私は、弾むように八〇年代の都市(まち)を駆け出した。

 

(つづく)

東京トワイライトエイジ

中森明夫

作家/評論家。三重県生まれ。1980年代から、ライター、エディター、プロデューサーとしてさまざまなメディアで活躍。著書に、『アナーキー・イン・ザ・JP』、『東京トンガリキッズ』、『アイドルになりたい!』などがある。Twitter:@a_i_jp
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