akane
2019/04/08
akane
2019/04/08
〈中野秋夫の名前は、「おたく」の名づけ親として歴史に残るだろう〉
かつて、そう書かれたことがある。
実際、今では世界中でもっとも読まれているという国際大百科辞典の「OTAKU=おたく」の項目には、以下のように記されているらしい。
〈一九八三年、ライターの中野秋夫が「漫画ブリトー」誌に連載したコラム『「おたく」の研究』によって命名された〉
なるほど、一九八三年か……。
はるか遠い昔の話だ。たしかに私はライター、そう、フリーライターだった。どうしてこの仕事に就いたんだろう?
ああ、そうだった。
二十歳の時だ。
高円寺の街をぶらぶら歩いていると、大学生ふうの青年があたりを見廻している。
「あ、ちょっと、すみません」と声かけられた。手にしたメモを見て、書店の場所を訊いたのだ。
なんでも本の情報雑誌のバイトをやっていて、高円寺の書店マップを作るため、取材に来たという。私は本が好きだった。高円寺の書店のことなら、よく知っている。
それなら、と各書店の傾向や特色、雰囲気……あそこの古本屋さんには大きな白い猫がいつも寝そべっていてね、といったエピソードまでくわしく話した。
青年は路上で何枚もメモを取り、「ありがとうございます! 助かりました」と頭を下げた。
しばらくして掲載雑誌が送られてくる。
高円寺の書店マップのページは、やけにくわしくにぎやかで、古本屋さんで寝そべっている白い大きな猫のイラストまであった。
〈おかげさまで充実したページになりました。ぜひ一度、編集部まで遊びにきてください〉
神田のはずれにある雑居ビルを訪ねた。
ビルの一室にある編集部は雑然としている。奥のデスクに座るいかつい感じの中年男が、「おう、君か」と対応してくれた。濃いモミアゲで三白眼、分厚い胸板、ワイシャツの両腕をまくりあげている……編集長だという。
脇の狭いソファに座り、出がらしのお茶が出た。
「君は何、本が好きなの?」
ええ、まあ……と、つらつらと自分の読書体験を三十分ほどはしゃべったろうか。
すると、編集長は言った。
「君、うちの雑誌で原稿を書いてみないか?」
驚いた。編集長はまだ私の文章を一行も読んでいないのだ。そもそも自分はライター志望ですらない。
そんな私が原稿を書いた。
初めて原稿料をもらった。
信じ難いことだが、なんと私は街で声をかけられて、二十歳にしてライター・デビューを果たしたのだ。
一九八〇年のことだった。
どう言ったらいいだろう、あの頃のあの感じを。なんだか街の気配が、少し変わったような気がする。時代の空気とでもいうのかな、それがちょっと軽くなった。
七〇年代はいささか重かったよ。
重力から解き放たれ、二十歳の私は、弾むように八〇年代の都市(まち)を駆け出した。
(つづく)
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