akane
2019/04/10
akane
2019/04/10
進藤さんは神田のコンピューター・ソフトウェア会社に勤めていた。プログラマーだという。私より四歳上だ。会社が終わると、カマキリ・バイクで疾走して、都内のミニコミ編集部をめぐる。イラストが描け、デザインもこなし、文章も達者だ。常に辛いものを食らい、一晩中しゃべりまくる。いったい、いつ寝てるんだろう?
進藤さんは東中野の四畳半に住んでいた。私は三鷹のアパート暮らしで、出版社のバイトの帰り、進藤さん宅に寄るようになる。狭い部屋の本棚には、澁澤龍彦全集はじめ難解本からコンピューター関連書までがびっしり並んでいた。
「そろそろ、ボクらもミニコミを作ろうか?」
ある夜、居酒屋で進藤さんは言う。
「貯金があるから、それぶっこむよ。ただなあ……」
生ビールをグイと呑みほし、ちらりと私を見た。
「ボク、ほら、会社員でしょう、一応……まずいんだよなあ。キミが発行人をやってくれないか?」
えっ、だけどミニコミぐらいで……。
「いやいやいや、数千部は刷って、大手書店にも置いてもらいますよ」
えええーっ!
普通、出版物は取次店を通して配本される。だが、稀に書店と直接、取り引きするものもあった。「本の雑誌」という直販のミニコミ雑誌が読まれ、話題になっている。
だが、数千部の雑誌を直接、自分たちが書店を廻り、配本しなければならない。大変な作業だ。「本の雑誌」では配本部隊という読者ボランティアを動員していた。
進藤さんは、どうするんだろう?
「や、ボクがバイクで配本する」
絶句した。
結局、進藤さんは一人で原稿依頼して、編集し、自らも原稿を書き、イラストを描いて、デザインして、版下を作り、印刷所に発注して、それをバイクで配本した。しかも会社帰りに。考えられない。異様なバイタリティーだ。
「東京はてなクラブ」は八二年春に出た。創刊号の四千部を売り切った。
「新宿の紀伊國屋書店へ行ったら、雑誌売り場に「文藝春秋」と「東京はてなクラブ」が並んで置かれていたよ。なははははは」
進藤さんは愉快そうに笑う。
私も原稿を寄せた。創刊号を見て、驚く。自分のページを探すと、当時、デビューしたばかりのアイドル歌手・中野秋菜をもじって「中野秋夫」となっている!? 進藤さんがペンネームをつけてくれたのだ。ま、いっか。どうせ、遊び半分の原稿だし、一生、使うペンネームでもあるまいし……。
雑誌の内容は進藤さんの独断だが、当時、出版界は団塊の世代の編集者や書き手が幅をきかせていて、一世代下の昭和三十年代生まれの我々の趣味に添うものにしようという。
団塊の世代の全共闘運動やビートルズ、あしたのジョー、新宿フォークゲリラ、赤軍派などに対抗するのに我々は、懐かしグッズにアイドル歌手、おそ松くん、大阪万国博、アニメや特撮ドラマなどで応戦するしかない。
それで『ウルトラQ』を特集することにした。一九六六年に放送された日本初の怪獣ドラマだ。当時のチビッコたちを熱狂させた。
八〇年代初頭はまだビデオ機器が普及しておらず、『ウルトラQ』のビデオソフトなど販売されてもいない。それをどこから調達してきたのか、進藤さんの四畳半のアパートにビデオ機器が持ち込まれ、なんと『ウルトラQ』全二十八話のビデオが揃っているではないか!
連夜の上映会となった。
まだらの液体がどろんと流れ、“ウルトラQ”のタイトル文字がジャ~ンと浮かび上がると拍手喝采、ゴメスだペギラだナメゴンだと、懐かしの怪獣が次々と現れ、歓声が上がる。
「ケムール人は足が速いんだよな」「そう。ケムール走り!」「運動会でケムール走りしてた奴、いたいた」「マラソンの君原選手をニセ・ケムール人なんて呼んでたよ(笑)」
こんなどうでもいいディティールを突っつきあって、笑い、騒ぎ、ウケる。
「カネゴンの貯金箱を持ってたよ」と誰かが言って、「いや、俺、ガラモンの背中のヒダヒダの本物を持ってるよ、ほら」と誰かが赤いヒダを披露すると、悲鳴が上がる。なんでも怪獣の造形作家に余った分をもらったものだとか……。
進藤さんの謎の人脈で怪人やマニア人種が大集合して、インターネットもない時代に噂が噂を呼び、上映会最終夜には四畳半の部屋に十人以上もが押し寄せ、ぎゅうぎゅう詰めで大騒ぎを繰り広げた結果、アパートの大家に怒鳴り込まれた。
「うわっ、ヤバい、追い出されそうだ」と真っ青な進藤さん。「編集部で部屋を借りよう」ということになった。
神田の小川町のワンルームマンションだ。進藤さんは会社が終わると、夕刻、姿を現す。その間、私とデザイナーの青年が部屋で作業に励んだ。
作業?
そう、マンションの家賃や光熱費、備品代など運転資金を稼がなければならない。例によって進藤さんは謎の人脈を使って、仕事を取ってきた。
自販機本の製作である。
自販機本?
その頃、自動販売機で雑誌を売っていた。エロ雑誌だ。エロ雑誌を本屋さんで買うのがこっぱずかしい内気なボーイズらは、夜中に百円玉をいっぱい握り締め、コソコソと買っていた。ゴトンと雑誌が自販機に落ちると、セーターのお腹のところへ隠して、さささっと忍者のように走り去り、自室で悶々とした一夜をすごす。
黄色い帽子とランドセルのよい子たちが通学する道端に、肌もあらわな女体がうごめくいやらしい雑誌の並ぶ自動販売機がある。ストリート性教育か? や、そんなジョークは通用しない。PTAや婦人団体が強硬抗議に及んだ。
自販機業者は、どうしたか? 人は追い込まれるとバカぢから的なアイデアが飛び出すもんだ。自販機のガラス面に、鏡を貼った。マジックミラーである。よい子の通学する日中は鏡だ。が、日が暮れて、あたりが暗くなり、自販機内の灯りがともると……あら不思議、鏡はガラスに変身して、エロ雑誌の表紙が「コンバンワ!」と姿を現す仕組みである。
鏡の国のアリス……ならぬ、エロスの中身をせっせと製作していたのは、八〇年代初頭、神田のはずれのワンルームマンションの二十歳そこそこの我々青年たちだった。
女体のハダカ写真は、有り物を借りて使い廻す。グラビアページは、それでよし。残りの活版ページは、適当にでっち上げる。原稿を書くのは私であり、会社帰りの進藤さんだ。
〈夏のアウト・ドアSEX――パーフェクト・マニュアル〉みたいな記事を、「ポパイ」調の文体で書き飛ばす。「アウト・ドアでメイク・ラブに励むボーイズ&ガールズは、虫刺されに御用心……防虫スプレーはマスト・アイテム、レッツ・ゴー!」てな感じで。ひどいもんである。
我々が下請けするエロ本出版社には、アリス出版とか群雄社とかサン出版とか白夜書房とか、いくつかの派閥系列が存在する。大方、全共闘世代の社主で、後に新人類世代とも呼ばれる若者たちが下働きをしていた。七〇年安保から十年後、八〇年代のエロ本全共闘で、新人類がその先兵を務めていたというわけである。
糸井は中核の特攻隊長で、とか、笠井や亀和田はプロ学同だった、とか、全共闘世代の著名人が時に出身派閥で語られるように、中野は群雄社系で、とか、竹熊やカムイはアリス出版だった、とか、エロ本派閥の出自を探る内ゲバが繰り広げられたりもする。
(つづく)
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