第二話 おたく命名記(6)
中森明夫『東京トワイライトエイジ』

bw_manami

2019/04/12

​東京の黄昏を生きるすべての世代のために!  昭和/平成グラフィティー。
アイドル、ライター、カメラマン、作家、エディターたちが繰り広げる、あのころの物語――。
『東京トンガリキッズ』の中森明夫が贈る渾身の青春小説、連載開始!

 

 

 枕元の電話がうるさい。何度も鳴っている。寝呆けまなこで、ふとんからやっと手を伸ばした。
「何やってんだよ、中野くん!」
 旧知の編集者からだ。ずっと電話してくれていたという。
 いや、寝てました、と応じると「テレビをつけてみろ」と言われた。
 リモコンでスイッチをオンにすると、テレビモニターには黒い服を着た人々が映っている。何か神妙な雰囲気で、ぼそぼそとしゃべっていた。
 何ですか、これ?
「……昭和が終わったんだよ」
 えっ!
 一九八九年一月七日だった。
 慌てて飛び起きて、テレビに見入る。
 小渕官房長官が白いボードを掲げ、漢字二文字が記されていた。
「新しい年号は……平成であります」

 

 昭和天皇に続いて、手塚治虫、美空ひばり、松下幸之助と、各界を代表する昭和の偉人たちが次々と亡くなった。
 その年は、一九八〇年代の終わりだ。
 中国の天安門事件、東西ドイツのベルリンの壁崩壊、ルーマニアのチャウシェスク政権の終焉と、世界中が揺れていた。
 時代の曲がり角である。
 二十九歳になった。
 なんとか私は生き延びていた。
「〈おたく〉の研究」の二年後、ひょんなことから“新人類の旗手”と呼ばれ、ちょっとは名前が売れた。だが、そんなのは一過性のブームにすぎない。すぐに終わった。また、地味なフリーライターに逆戻り。
 それでも二十歳の時から、ずっと文章を書いて生きてきた。ああ、これほども長く続くとは。自分でも信じられない。街で声かけられて、始めた仕事なのに。
 三十歳を目前にして、いくつかの新たな仕事依頼が舞い込んでもいた。
 ある日、マンションへ帰ると、郵便受けに書き置きがある。留守番電話がパンクしていた。テレビ局や新聞社、週刊誌の記者から、至急連絡してくれという。
 何事?
 事件の犯人が判明した。
 連続幼女誘拐殺害事件である。
 前年、昭和の終わりから、平成の初めにかけて、首都圏で四人の幼女らが姿を消した。遺体が見つかり、遺骨が送られ、“今田勇子”を名乗る脅迫状が届く。世間は騒然とし、マスメディアは犯人像の推理に躍起となって、警察はその威信を問われた。
 八九年八月十日――。
 すでに強制わいせつ容疑で逮捕されていた青年が、先の事件について自供した。
 東京都西多摩郡の印刷工・宮崎勤(二十六歳)である。
 テレビカメラは彼の自宅個室に踏み入り、異様な光景を映し出す。壁に積み上げられた六千本ものビデオテープ、さらには床を埋めつくした漫画・アイドル・ポルノ雑誌の山だった。犯人の特異なパーソナリティーを理解する手立てとして、マスメディアは一つのキーワードを発見した。
「おたく」である。

 

 宮崎は、この六畳間にこもりっきりのことが多かった。ほとんど人と話すことはない。面と向かうと人の名前が呼べず、「お宅」と呼びかける、
「通称オタク族」
 だったようである。たとえば「お宅どんなビデオ持ってる」と使う。アニメやビデオの熱狂的ファンに多い種族だ。
    (「週刊朝日」八月二十五日号)

 

「おたく族」とは――アニメやパソコン、ビデオなどに没頭し、同好の仲間でも距離をとり、相手を名前で呼ばずに「おたく」と呼ぶ少年のこと。人間本来のコミュニケ―ションが苦手で、自分の世界に閉じこもりやすいと指摘されている。
    (「週刊読売」九月十日号)

 

〈小中学生「オタク族」を「1・5の世界」が蝕んでいる〉
    (「週刊ポスト」九月一日号)

 

(つづく)

(Photographed by Lear 21)

東京トワイライトエイジ

中森明夫

作家/評論家。三重県生まれ。1980年代から、ライター、エディター、プロデューサーとしてさまざまなメディアで活躍。著書に、『アナーキー・イン・ザ・JP』、『東京トンガリキッズ』、『アイドルになりたい!』などがある。Twitter:@a_i_jp
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