akane
2019/04/16
akane
2019/04/16
小塚英士と私は、その後、会って週刊誌で対談した。今一度、対話して、それは本にもなる。
反響は大きかった。
ある朝、新聞をめくって、目を見張る。
小塚と私の顔写真が載り、大見出しが躍っていた。
〈宮崎勤被告を擁護〉
朝日新聞だった。
それがどういうことか、どういう事態を招くことになるか、正確なニュアンスを平成生まれの世代に伝えるのは、難しい。
すぐに田舎の母親から電話がかかってきた。
「おまえ、何か悪いことでもしたのかい? 新聞に写真が出てたっていうけど……」
冗談ではない。
スマホもなく、インターネットも普及していない時代だ。朝日の威力は絶大だった。
その記事が出る前と、出た後とでは、周囲の反応がまったく変わってしまう。
決まっていた雑誌の連載や、単行本の仕事が次々とキャンセルされた。というか、担当編集者がもう電話にも出てくれないのだ。
親しかった編集者や、友人と認識していた同業者らと顔を会わすと、妙にそっけない。私と話したくなさそうだ。明確に絶交を言い渡されもした。
「おまえはバカだよなあ」
年長の人情家肌のライターに呼び出されて、呑んだ。
「ミヤザキって、人殺しだぞ! 幼い女の子を四人も殺して……親御さんの気持ちにもなってみろって。その殺人鬼を、よりによって擁護するって? はあ、何、考えてんだ。頭、おかしいんじゃねえか。あ~あ、朝日新聞にまで載っちまって」
真っ赤な顔で罵られた。
「おまえ、もうおしまいだよ」
耳が痛い。
「物書きとして、やってけないぞ」
だが、実はそんな言葉には慣れっこになっていた。
新聞記事が出て以後、いたずら電話に悩まされている。最初は無言電話だった。それから批難、怒声、罵り、中傷と続き、口汚い文句の嵐、やがて脅迫に変わった。
死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!
毎日、言葉の凶器に突き刺されていた。
ある日、マンションに帰ると、ドアの前に誰か立っている。
濃紺のつなぎのようなものを来た長身の男だ。髪を銀色に染め、マスクをしていた。異様な妖気を漂わせている。
男の目がギロリとこちらを見て、マスクを取った。
とっさに私は身構える。
「中野秋夫さんだね?」
ドスの効いた声だ。
「ちょっと話したいことがあるんだが」
男は部屋へ入りたそうにしたが、私は警戒する。二人きりになるのは、まずい。近所の喫茶店へと入った。午後の時間で、客はまばらだ。テーブル席で向かい合うと、コーヒーを二つ、注文した。
男は目の前に紙片を置いた。
〈宮崎勤被告を擁護〉の新聞記事だ。
「……どういうつもりなんだ、これは?」
返答に窮する。
男の目が血走っていた。
しばらく黙っていると、日本とか民族とかいう単語の混じった団体らしき名称を口にし、その構成員なのだという。
男がふところに手を入れ、何か取り出した。
短刀だった。
さやを少しだけ抜いて、ぎらりと光らせる。
背筋が寒くなった。足が震えている。
また、さやに刃を収めると、目の前に置いた。赤い目で、じっとこちらをにらんでいる。
ああ、もうダメだ。逃げられない。これは覚悟を決めるしかない。
私は口を開いた。
自らが「おたく」の名づけ親であること。小塚英士との関わり。宮崎勤のこと。「彼を守ってやる」という言葉に胸を撃たれたこと。正直に、包み隠さず、私は語り続けた。
男は、じっと聞いていたが、話が終わると、ため息をつく。うつむいた。
しばし、そうしていた。
ふいに顔を上げ、身を起こすと、男の腕が突き出された。
殺される!
ひやっとして、目を閉じた。
どれほど、そうしていたろう。何も起こらない。
まぶたを開くと、目の前に男の手のひらがあった。私がそれを握り締めると、男は笑った。
「ありがとう、よく話してくれました」
男の目が潤んでいる。
「中野さん……あなたの文章が……大好きなんです、ボク」
男は私の著書を取り出すと、サインをねだった。サインしながら「お腹すいてるんじゃない? 何でも頼みなよ」と言うと、男は「はい」とスパゲティー・ナポリタンを注文し、ガツガツとそれを食らっていた。
ふうと脱力する。
自分はこれからいったい、どうなるんだろう?
三十歳を目前にしている。
生きていけるんだろうか?
平成は、まだ始まったばかりだった。
(つづく)
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