第三話 美少女(6)
中森明夫『東京トワイライトエイジ』

bw_manami

2019/04/26

​東京の黄昏を生きるすべての世代のために!  昭和/平成グラフィティー。
アイドル、ライター、カメラマン、作家、エディターたちが繰り広げる、あのころの物語――。
『東京トンガリキッズ』の中森明夫が贈る渾身の青春小説、連載開始!

 

 

 篠川実信との仕事が始まった。週刊誌の巻頭グラビア頁である。時代(とき)の女性たちを篠川が撮り、私が文章を寄せる。コーディネイターは……国江さんだった。
 毎回、写真撮影の現場に立ち会う。これが大御所女優か演歌歌手などの場合は、いい。少女タレントとなると大変だ。
 国江さんが我を忘れて、はしゃいでしまうのである。篠川を放ったらかして、少女にべったりとくっつき、ニヤニヤでれでれしている。
 撮影終了後、篠川は激怒した。
「国江さん、いい加減にしろよ。あんたはどっち側なんだよ!」
 例の打ちひしがれた犬のような表情をして、国江さんは、しょげる。だが、少女タレントの撮影になると、すぐにまた我を忘れて、はしゃぎ廻るのだった。
「国江さんのあれはもう、一種の病気だな」
 篠川は吐き捨てる。
 国江さんは番頭体質の人だった。篠川の名前をカサに着て、対外的にはいばる。
「篠川先生は、こんなんじゃ撮れませんよ!」
 篠川の前では一応ぺこぺこするが、時折、絶妙な嫌みを言うのだ。
「篠川先生、いや~、この写真はちょっとねえ……」
 篠川は大激怒する。
「国江さんは“下から”人を見下ろす人だ」
「国江さんは腰が低くて、押しが強い」
「国江さんは必要悪だが、今や不必要悪になった」
 篠川と私は、さんざん国江さんの悪口を言い合って、仲良くなった。
 週刊誌の正月号で私たちのページに、宮川えりが出ることになった。当初は野口久美子とのツーショットのはずが、撮影直前にノクミ側がキャンセルする。
 宮川えりはまもなく十八歳だ。野口久美子の人気を追い抜き、完全に突き放した。ノクミサイドが比較されることを回避したのだろう。少女ら二人はいまだに仲がよくても、芸能プロの大人たちとはそうしたものだ。
 乃木坂の篠川の事務所の周辺で撮影する。本来なら、国江さんがはしゃぎ廻るはずだ。しかし、むっつりと押し黙っている。
 国江さんは、いまだに野口久美子に執着していた。なんだかんだ仕事にかこつけては、彼女に会っているらしい。それでライバルである宮川えりに気を許さない。自分はノクミ派だというわけだ。
 決して義理堅いわけではない。学生運動出身の国江さんは、常に人を敵と味方に分け、判断し、派閥の力学で裏を読み、あちこちに出入りしては敵側の悪口を盛んに言いふらす。そういう性格が、みんなに嫌われていた。
 国江さんは敵に廻すと嫌な人だ。しかし、味方にとっても困った人なのである。
 子供時代は国江さんになついていた少女タレントも、ある年齢に達すると「あの人、気持ち悪い」と離れてしまう。打ちひしがれた犬のような目をした国江さんは、さらに年若い少女タレントをあさるのだった。
 冬の都心の路地裏を、美少女が駆け抜ける。写真家が追いかけ、シャッターを切った。
 宮川えりはすらりとした肢体を存分に伸ばして、疾走し、飛びはね、声を上げる。笑顔が弾ける。美しかった。
 国江さんは近づいていかない。
 宮川えりのステージママとして有名な、通称えりママは、ただ見守っている。
 撮影の合間に、私は美少女と談笑した。
 「宮川センパイって、若えな~」と不良の弟分の口調で話しかけると、気転を利かせて「秋夫さんだってさ、ヤングってるじゃん、ヤングってるじゃん!」と返す。
「宮川センパイ、まぶいぜ」と言うと「まっびーだろ、なっ、ゲロマブじゃん!」と笑った。

東京トワイライトエイジ

中森明夫

作家/評論家。三重県生まれ。1980年代から、ライター、エディター、プロデューサーとしてさまざまなメディアで活躍。著書に、『アナーキー・イン・ザ・JP』、『東京トンガリキッズ』、『アイドルになりたい!』などがある。Twitter:@a_i_jp
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