最終話 東京の黄昏(5)
中森明夫『東京トワイライトエイジ』

bw_manami

2019/05/13

 ディケイド、いわゆる西暦の十年単位は、前半と後半とで大きく変わる。典型的なのは、一九四〇年代だ。四五年を境に、戦中と戦後に分かれる。
 一九九〇年代もそうだった。九五年の一月に阪神淡路大震災が起こる。三月には地下鉄サリン事件だ。戦後五〇年のその年は、天災とオウム騒動で明け暮れた。
“バブルが弾けた”と言われたが、九〇年代前半はまだ明るかった。なんなら、またすぐに景気が回復しそうな楽観的な気配があった。
 九五年を境に、急速に暗転する。ディケイドの後半に至って、銀行や証券会社が次々とつぶれた。失業者があふれ、自殺者が急増する。長く続く平成大不況、“失われた時代”の始まりだ。
 私は三十代の後半になろうとしていた。
 いまだに独身のフリーライターである。なんとか原稿を書いて生活していた。バブルの頃、いや、あの一九八〇年代が懐かしい。
 週刊誌の編集長が訪ねてきて、中野さん、九〇年代の新人類を発掘してくださいよ! と言った。〈中野文化新聞〉なる雑誌内ページの編集主幹を務めることになった。まだ、世に出ていない新しい才能を私が発掘して、紹介する。
 まあ、めんどくさいことになった。オタクのカリスマとか、自殺手段のミニコミを作ってる奴とか、ファシスト志望の学生運動家、自意識ポエムのコスプレイヤー……有象無象に振り廻された。私の若い頃とは、明らかに気色が違う。
 八〇年代の新人類も、そりゃあひねくれてはいた。アイロニーとかなんとか? だけど、独特の明るさがあった。九〇年代後半になるとまったく違う。自分探しや、ロスジェネや、自傷系や……暗い。泥沼のような暗さだ。
 時代は“躁”から“鬱”へと一転している。こじれ方もハンパない。夜中にファクスが鳴りっぱなしで、起きると、ファクス用紙がとぐろを巻いていた。〈なんで中野サンはボクのことを、ああ、本当のボクのことをわかってくれないんですか! ああ、ああ、ボク、ボク、ああ、ああ、ああ、本当の本当のボク、ボク、ボク、ボク……〉、延々と手書き文字がびっしり埋まっている。……疲れた。
〈中野文化新聞〉に送ってきた『TOKYO廃墟図鑑』なるミニコミが目に留まる。都内の廃工場や、建設が中断した高架道路や、バブル崩壊後の残骸ビルや……珍奇な場所を写真つきで紹介するガイドだ。
 著者の青年と会った。ひょろりとした色白の薄いサングラスをかけた若者で、東大法学部を中退したフリーターだという。夜の西麻布のバーで一杯やって、その後、裏通りを案内してもらった。
「あっ、ここです」
 閑静な住宅街のはざまに、異様な雰囲気が漂っている。金網が張りめぐらされ、殴り書きの立て札があちこちにあった。その向こう側はどんより暗い。
 青年は脇へと廻り込み、青いビニールシートをめくると、金網が破れていた。
「ここから入れます」
 彼の後について、身を屈めて侵入する。
 内部はけっこう広い。樹々や雑草が生い茂っていた。青年は懐中電灯を照らす。明かりの向こうに薄汚れた壁が、ぬっと浮かび上がった。ツタが全面を覆っている。闇にそびえるコンクリート打ちっぱなしの巨大な建物だ。
「この手の物件は多いっすよ。都心じゃあ」
 青年の解説に耳を澄ます。
「バブル崩壊っすねえ。建設途中で家主が夜逃げした……幽霊屋敷ってわけで」
 懐中電灯の光が、廃墟となったポストモダン建築を照らし出す。
 入口あたりに金属のプレートがあり、刻印された文字が浮かび上がった。
〈STUDIO ASAHI〉

 

(つづく)

東京トワイライトエイジ

中森明夫

作家/評論家。三重県生まれ。1980年代から、ライター、エディター、プロデューサーとしてさまざまなメディアで活躍。著書に、『アナーキー・イン・ザ・JP』、『東京トンガリキッズ』、『アイドルになりたい!』などがある。Twitter:@a_i_jp
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