akane
2019/05/16
akane
2019/05/16
駅の改札を出ると、からりと晴れていた。昨日までの雨が嘘のようだ。
見上げると、空が青い。
なんだか違和感を覚える。
見廻すと、ダウンジャケットを着ているのは自分だけだ。周りはみんな軽装だった。
ああ、そうか。
もう、春なんだな。
平成最後の春だった。
目の前の高層ビルに光が反射している。
世界貿易センタービルだっけ?
浜松町に来ることなんて、めったにない。
ポケットからスマホを取り出して、グーグルマップを確認する。方向音痴の私は、こいつのおかげで随分と助かっていた。
ツイッターのDMに、突然、赤い大きな太陽の写真が送られてきて、村井アサヒとやり取りが始まる。久しぶりに会おうということになった。
〈ボクの行きつけのお店があります。遅いランチというか、早いディナーでも、ご一緒しませんか?〉
食べログで検索すると、ユーザー・レヴューの点数はまあまあだ。〈午後休みがないのが利点、カジュアルなカフェレストラン〉とあった。
駅から十分ほど歩いて、大通りから一本入ると、急に静かになる。目印の黄色い鳥のオブジェが見えてきた。ストリート・ヴューで下調べしたとおりだ。
白い木造りの洋館で、扉を開けると、がらんと広い。客はまばらだった。
窓際の席の男が、片手を上げている。
近づいて、席に着こうとすると「ごめん、先にやってるよ」と男はワインのグラスを掲げた。
窓から射し込む陽射しに照らされ、微笑んでいる。
これが……村井アサヒか。
白髪頭で、てっぺんがはげていた。赤黒く陽焼けして、深いシワが顔全体に刻まれている。ごま塩のぶしょうひげが口の周りを覆い、白い眉の下の目が、笑うと小さくなった。
私より二歳上……もう、還暦過ぎか。それにしても老け込んでいる。
席に着いて、私もグラスの白ワインをもらった。
「お久しぶり」
乾杯する。
ワインはよく冷えて、酸味が強かった。
テーブルの上には、何枚かの写真が置かれている。
太陽、太陽、太陽……赤い大きな太陽だ。
「お気に入りのを、持ってきたよ」
しゃがれた声で言う。
荒野の上に昇る太陽、丘陵を臨む日の出、雪山から顔を出す朝日……。
殴り書きの文字も、タイプの英文も、そこにはない。
「メッセージは? ないんだね」
アサヒは目を細め、「もういいよ、そういうのは」と笑った。
いい顔になったな。めっきり老け込んだけれど、今まで会った中で、一番やさしい表情をしている。
今まで会った……。
そうか、私は彼と二回しか会っていない。
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.