akane
2019/05/01
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2019/05/01
人間は社会的な生き物ですから、基本的には人との関係の中で、お互いに影響を与え合いながら生きています。完全に「ひとり」で生きていくことは困難ですし、精神的にも人恋しく感じる人がほとんどだと思います。
それは人間として当たり前のことなのですが、人によって、「ひとり」についての感じ方はずいぶん違います。
そもそも「ひとりで行動する」というのは、単なる行動様式であって、その人の好みや性質、都合が大きく反映されるものなのです。
そして「人恋しさ」とは、実はかなり先天的に決められている性質の一つです。
人間には、とても人恋しさが強い人と、そうでない人(他人にあまり関心がないタイプの人)がいるのです。
いわゆる「人情家」と呼ばれるような人は前者の「とても人恋しさが強いタイプ」に当たります。
これは、「ひとりでいるとどう思われるかが不安」なのでもなく「ひとりでいることが不安」なのでもない、単に、「人と一緒にいるのが好き」「人と一緒にいないと寂しい」という性質です。「他人の目」など関係なく、ただただ、誰かと一緒にいたい、他人と一緒にいるのが好き、というタイプなのです。
先天的に「人恋しさ」が強く、かつ「他人の目」が気にならない(=他者からの評価に対する不安があまりない)タイプの人たちは、本当にひとりで食事をとることが必要なら、つまらなそうに、寂しそうに、ひとりで食べるでしょう。
そこに顔見知りの人や店員さんなど話し相手になりそうな人がいたら、すかさず話しかけたりするはずです。
トイレで食事をすることなどは考えず、むしろそんなことをさせたら、その環境の寂しさに、さらに寂しくなってしまうでしょう。
反対に、「人恋しさをあまり感じない」「他人にあまり関心がない」タイプの人もいます。
中でも「他人にあまり関心がない」程度がとても強い人は、そもそも「どのくらい孤独に耐えられるか」ということよりも「どのくらい人と一緒にいることに耐えられるか」ということのほうが問題になる場合も多いです。
「どの程度人と一緒にいるのが心地よいか」は、複数の要因によって、かなり先天的に決まってくるものです。
これは単純に二つに分類できるものではなく、「程度」の問題です。
また、単なる「人恋しさ」という軸だけでなく、人と一緒にいるのは嫌いではないけれども、ひとりの時間がかなり確保されていないと落ち着かない、疲れてしまう、というタイプの人もいます。
人と一緒にそれなりに楽しく過ごした後、家に帰ってからしばらくひとりだけの静寂の時間を持たないと、脳が興奮してしまって寝付くことさえできない、という人もいるのです。
「ひとり」という状況に対する感じ方や耐性は、このように人それぞれなのです。
※この記事は、『続「他人の目」が気になる人へ』(水島広子)をもとに作られました。
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