2018/11/13
小池みき フリーライター・漫画家
『混沌の叫び1 心のナイフ』東京創元社
パトリック・ネス/翻訳 金原瑞人・樋渡正人
シリーズ小説の1巻だけを図書館から借りて帰り、家で読み終えたあと「続きが手元にないっ!」と気づいて絶望することがたまにある。そういうときの苦痛はほとんど拷問。「早く明日になってくれ~!」と頭の中で叫びながら一夜を明かすのであった。
『混沌の叫び』三部作(パトリック・ネス著/東京創元社)は、私にそんな拷問を味あわせた思い出深いシリーズ。イギリス本国ではカーネギー賞をはじめ多数の受賞に輝いたヒット作で、来年には映画も公開となる。ヤングアダルトと呼ばれる若者向け小説だが、もちろん大人が読んでも問題なく面白い。
まず関心を引かざるを得ないのは、なんといってもその風変わりな世界設定だ。この小説の舞台である惑星ニュー・ワールドには、ある奇病が蔓延している。それは、人間の考えが“ノイズ”として、文字と音の両方でその人の身体から垂れ流され続けてしまうというもの。嘘は無意味だし、エグい性的欲望も全部垂れ流し。異様な世界だが、人々はそれに良くも悪くも慣れきってしまい、他人の醜い内面をなんとなく無視しながら、虚ろに日々を過ごしている。
なるほどSNS時代へのアイロニーか、と思いきや、この小説が発表されたのは2008年、世界的に言ってもまだSNS時代黎明期である。ネスの感性の鋭さが感じられる設定だと言えよう。
話を戻すとこの奇病、「女性を殺す」という特性も持っている。故にこの世界の女性は死に絶えており、この先人類が繁栄する見込みはない。
主人公トッドは、そんな不毛の世界における“最年少”の少年である。彼もまた、世界に対して何の希望もなく大人になっていく……はずだったのが、ある日を境に運命が激変。なんと、この世界にいるはずのない「少女」ヴァイオラに出会ってしまったうえ、ひょんなことから町中の大人たちに命を狙われるハメになったのだ。
大人たちはなぜトッドを殺そうとするのか、ヴァイオラがこの星に送り込まれた理由は?
謎を追って読み進めるうちに、二人は壮大な戦いに巻き込まれていく。この惑星の独裁者プレンティス率いる軍勢と、彼らに対して抵抗を続けるレジスタンス組織、そして長年虐げられてきた惑星の先住民スパクルたちの、三つ巴の血みどろ抗争。ヤングアダルトだからと気を抜くなかれ。どれだけ印象深く出てきたキャラでも、あっさり拷問されたり殺されたりして退場していく。
この抗争の中では、「戦いの因子になるもの」がこれでもかというくらい描かれる。たとえば親子間の軋轢、女性蔑視、奴隷差別、移民に対する排斥感情など。そういった負のアクションが、いろんなキャラからいろんなキャラへ、いろんな集団からいろんな集団へと容赦なく繰り返されるので、誰が悪いとか、誰が正しいとかそんなことはどんどんわからなくなってくる。トッドとヴァイオラですら、「正しく清らかな主人公たち」ではない。
ただ、ひとつだけ、はっきりとわかるようになっている。それは、誰もがそれぞれ傷ついており、地獄以外の何かを求めているということだ。それを希望に、主要人物たちは最後まで果敢に戦いぬく。
昨今、「分断をどう乗り越えればいいのか」という問いをあちこちで見聞きする。私自身も同じことを考える。しかしこれについて考えたことのある人間なら誰でも、それがまったくもって簡単でないことを痛感しているはずだ。人間同士の憎しみ合いはあまりに強く、その間に橋をかけるには歴史という土台は生煮えすぎる。大勢の欲望と嘆きが“混沌の叫び”としてうずまくこの時代に、一体私ごときに何の旗を立てられるだろうか——。
本作は、そんな弱気に効く。どうすればいいかという答えではなく、決してすべきでないことを教えてくれるのだ。何を捨てるべきでないのか、何を諦めるべきでないのか、どの道を選ぶと地獄が待っているのかを。
「分断の克服」という課題を抱えた今こそ、この小説を大勢に読んでほしいと思う。『心のナイフ』『問う者、答える者』『人という怪物』——三作のタイトルを並べて見るだけで、何かドキッとするするじゃないですか。
『混沌の叫び1 心のナイフ』東京創元社
パトリック・ネス/翻訳 金原瑞人・樋渡正人