手拭い15本で、スマホ3台をゲット――ホームレス真打が語るお金の哲学
ピックアップ

 

金が欲しい。

 

もう遺伝子のレベルに刻み込まれてしまったかのように、誰もが一度ならず思ったことだろう。

 

人の設計図があったなら、一行目に書かれているのではと心配になるぐらい皆、金を欲しがる。この「欲しい」にもう一つ条件が付く。

 

「苦労せずに」

 

努力や苦痛を伴えば、ある程度の金が手に入るのは、それまでの経験で知ってるからなおさらである。何もしないで金が欲しいのだ。

 

仮に金の成る木があったとしても、育てるのに手間がかかるだろう。肥料をやったり害虫を駆除したり、冬を迎える時は、雪の重みで折れないようにする工夫も必要だ。台風なんか来たら、風で倒れないか心配で夜も眠れない。

 

夢想する金の成る木ですら、こんなわしいことがついて回る。

 

誰もが理想とするのは、これらの苦労なしで手にできる「金」だ。

 

そんな金なら私も、もちろん欲しい。

 

時間と健康と精神を削らなければ手に入らないのが金だということを皆わかっているから、そんな夢を見たくなるのだ。

 

でも、本当に夢なのか?

 

ほとんどの人が「あり得ない」と諦めてしまうこの事象を実現できたら、どれだけ幸せだろうか。

 

幸せを願うことは悪ではないし、幸福を追求した結果が今の人類の繁栄を築いている。

 

ならば突き詰めて考えるべきなのだ。

 

金が無限にあったらどうするのか?

 

ここで「貯金」と答えるヤツは、もう一度人生をやり直した方がいい。そもそも生き方を間違えている。

 

子供の方が素直に答えるだろう。「あれが欲しい」「これが欲しい」と。

 

そうなのだ。金は何かを実現するために使うものだ。老後の保障でもいいし、見栄を張るためのアイテムでもいい。美食や理想の異性を手にするためのきっかけでもいい。何かと交換するための手段だということを、まずはっきりと認識するのが重要だ。

 

手に入れたいモノ、実現したい未来。そのための金策であって、それらを手に入れられるなら金は不要ではないだろうか?

 

思い立ったが吉日。

 

私はさっそく実行に移してみた。金を使用しないで何かを手に入れる。

 

落語家の中でも私は物販にかなり力を入れている。通常2~3種類が平均と言われる手拭いの販売でも、常に10種類以上の品揃えを心がけている。まずはこの手拭いを使って実験開始。

 

そう。物々交換である。

 

厳密には手拭いを作る過程で金がかかるし、発送その他でも当然金は介在する。

 

でも最初からパーフェクトな結果を求めていたら物事は進まないのだ。

 

とりあえず、現状で欲しいモノを書き出してみた。

 

マスク(花粉症の時期だから)、Tシャツといった普段使うようなモノから、PS4やバイク、家電製品など値が張るモノ。

 

それぞれ手拭い1本から100本まで適当に値付けしてみた。これをブログで公開すると、瞬く間に交換が成立していった。通常1000円から2000円で販売している手拭いの円換算を上回るレートで交換できたのだ。

 

これには私の落語家としてのブランドという側面もあるかもしれない。

 

しかし、それだけではない何かがあるのだ。

 

「不用品」

 

これだ。私が欲する品物を誰もが欲しいわけではない。価値観は人それぞれ違うのだ。

 

代表的なモノが、手拭い5本というレートで3件の交換が成立したスマホである。壊れていてもOKという条件で提示していた。電源が入らない、充電できない、画面が割れている。

 

それぞれ問題があったスマホたちだったが、少し手間をかけてやれば直すことができた。私は手拭い15本で動くスマホを3台手に入れたのだ。

 

これまでも簡単な修理はちょくちょくやっていたので自信はあったのだが、こんなに上手くいくとは拍子抜けだ。

 

そう。私にとって自分の手拭いよりも壊れたスマホの方が価値があり、手放した人からしたら、壊れたスマホより手拭いの方が価値があっただけだ。

 

どちらが損をしたという話ではない。そこには価値観の違いがあるだけで、どちらも得をしているのだ。

 

ここに金が入り込むと途端にややこしくなる。

 

「手拭い5本? 5000円でスマホ売ったの? それなら買い取り業者に売れば1万円になったのに……」

 

となる。

 

価値観を統一してしまうのが金だ。

 

自分が欲しいもの、また所有していて不要なモノの価値を自分で決められないのだ。誰かが決めたレートに縛られていないだろうか? 自らの価値を他の誰かに決められているのが、この貨幣制度ではないだろうか?

 

反対に、マスク10枚と手拭い1本という交換も成立している。

 

「100円ショップで買えるでしょ? マスクなんて!」

 

そういう問題ではないのだ。これは私が決めた価値なのだ。100円ショップのレジで私の手拭いを出してもマスクはもらえない。

 

マスク1万枚と手拭い1000本交換してくれ、という話ではないのだ。金に換算して「商売」しようとするから、そういう発想になる。

 

無限にマスクが必要という方がおかしいのであって、花粉症のシーズンだけ必要な枚数が手元にあればいい。

 

大切なのは金儲けではない。欲しいモノを手に入れるというシンプルな行動だ。

関連記事

この記事の書籍

その落語家、住所不定。

その落語家、住所不定。タンスはアマゾン、家のない生き方

立川こしら(たてかわこしら)

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を

この記事の書籍

その落語家、住所不定。

その落語家、住所不定。タンスはアマゾン、家のない生き方

立川こしら(たてかわこしら)