BW_machida
2020/08/14
BW_machida
2020/08/14
神保:僕たちが、検察の話をするとき、その検察には顔がありません。なんとなく、検察庁のあの看板を思い浮かべる。
そんな中で、はじめて、市川寛さんという検察官だった方が、なぜ「虚偽」の調書をつくってしまったのかというメカニズムを語ってくれた貴重な証言です。
市川 そもそも、日本では、法定刑の幅が広いんです。殺人といっても、懲役5年から死刑まである。だから、捜査、起訴、裁判のそれぞれの段階で、さまざまな情報を一つひとつ認定しないと量刑を決められない。
それから、有罪・無罪を決める場合、故意かどうか、という人の心の中を扱う必要があります。どうも動機に固執するようなところがある気がします。
検察側は、「なぜやったか」を徹底的に解明しようとするし、裁判所はそれが不合理であると無罪にすることがあります。なぜ、そんな目に合わなければらなかったのか、理由が知りたいという被害者の立場になれば分かりますが、司法が加害者の主観に立ち入ることが、本当にそんなに必要なことなのか。考える余地があると思います。
その一方で、客観性も細かく求められます。例えば、殺人事件の場合、調書は「私は包丁でブスリと刺した」ではなく、「1メートルくらい離れた場所に立って、私は利き手である左手で包丁を持ち、斜め上45度くらいから思い切り突き刺した」という具合に書きます。
神保 本人は、そんなことを言わないですよね?
市川 実際には、検事が「どうやったのか」尋ねて、被疑者が身振りで再現し、それを言葉にします。「調書裁判」とも呼ばれますが、自白調書を偏重する裁判のあり方は、精密司法と密接に結びついています。検察は精密司法に耐えられる自白を取らなければならないので、いくら取り調べの時間があってもたらない。私は、すべては事実認定のハードルの高さに起因しているのではないかと思っています。
冒頭陳述というのは、ほとんど被疑者の自白の内容です。そのうえで、検察は事件の詳細を細かく証明し、「どうしてこの被告人が有罪にならないのか」と主張する。そもそも、このやり方は本当に正しいのか。もちろん、精密司法を放棄すれば危うい有罪が出るリスクもあります。しかし、少なくとも、裁判で無罪をもっとラフに出せるようになるとは思うんです。
市川寛氏(弁護士・元検事)をゲストに招いて(収録日:2012年11月15日)
宮台:市川さんが自白をとれるかどうかに、上司の出世がかかっていたわけですよね。だから、有罪にしないと上司の立場もなくなり、市川さんの立場もなくなってしまう。だから、やらざるを得なかった。
個別の事情はともかくとして、会社員だって、よくある話です。そのことがわかる貴重な話でした。
神保:この事件では、市川さんが、裁判で、自白は任意だと証言するはずの検察側の証人だったのにもかかわらず、自分が虚偽の自白を強要したと証言したために、無罪になりました。でも、もし、その証言がなければ、無罪にはならなかった。
自白、とくに調書段階の自白というのは決定的です。あとになってから、否認しても、裁判官は、余裕ができてからの否認より、取り調べでの自白を優先する。
映画「それでもボクはやってない」の周防正行監督によると、本当にやっていない人ほど、追いつめられると、ここは、とりあえずやったと言っても、「後で、きちんと状況を説明すれば裁判官はわかってくれる」と思ってしまうそうですね。
宮台:市川さんの場合、自白の強要をしているときも、忸怩(じくじ)たる思いを強く抱いていた。だから、時間をおいてから、やはり、このままではいけない、と思い、裁判で覆すことができた。
神保:そんな人はめったにいない。
宮台:市川さんの話では、裁判に出る前から彼がどういう証言をするか検察側もわかっていた。組織の中にいるときから、彼は、あれはやりすぎで、虚偽の自白にサインをさせてしまったと言っていたわけですよね。
神保:その一方、彼は個人的には他人には言っていたけれど、まさか本当に彼が法廷でそう言うとは組織としては思っていなかったという話もあって、そこはわからない。
宮台:ああ、やっぱり、そうですか。
神保:検察としては動揺があったみたいです。なぜなら、無罪になってしまうからです。だったら、起訴を取り下げたほうがいい。証拠は自白しかないのですから。
宮台:ただ、そのおかげでぼくらはいろいろなことを知ることができました。やっぱり、市川さんが特殊な人で良かったと思います。
いま、「特殊な人」という言い方をしましたけれど、もちろんこれは皮肉です。普通に考えて、僕らから、いわせれば「当たり前の人」です。しかし、それが、そうではない。検察という組織の基準ではかなり特殊な人ということになる。
神保:そういう「普通の人」にこそ検察官や裁判官であってほしいのに、そのこと自体が問題です。
市川さんは司法修習生のころに検察が被疑者を呼び捨てで呼ぶことに抵抗を覚えたそうです。なぜなら、推定無罪の原則があるからです。日本では、報道でも呼び方が変わって呼び捨てになる。でも、それに違和感をもつような常識的な正義感をもっていた。最後まで検察の組織に染まりきらなかった。
宮台:本当に勇気をもって、個別の事情を話してくれました。だから、検察がどうして虚偽の自白をねつ造してしまうのかという事情がわかります。
神保:一つひとつ個別の事情をきいてみれば出世とか、今日が奥さんの誕生日で早く帰らないといけないのに、帰れないとか本当に信じられないような理由で個別の冤罪は起きていたりする。等身大の現実を知る意味では、そうした事実を知ることも重要かもしれないと思います。
文/河村 信
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.