BW_machida
2020/07/07
BW_machida
2020/07/07
山奥って便利だ。
ここでは無料でできる遊びがたくさんある。川で釣りをしたり水遊びしたり、森に入って散歩したり、庭でバーベキューしたりと思いつけば今すぐ無料でできることが多い。
都会だったら、どんな遊びでも一日何千円も必要になる。信じられないことに、都会では座って休むだけにもお金がかかる。喉が渇くたびに自販機やコンビニで水を買わなきゃいけない。
山奥では蛇口をひねれば沢から引いた清水が流れる。真夏でも冷たくって僕は他のどんな飲み物よりも好きだ.
それだけじゃない。
たとえば、みかんを食べ終わって皮を捨てるとき、森のほうへ放り投げればそれでおしまいだ。都会だったら、ゴミ箱を見つけるまで持ち続けるか、後ろ暗い気持ちを抱えてコンビニのゴミ箱に捨てるしかない。
少々大きめの音量で音楽を流しても、怒られることはまずない。逆に隣人の騒音を疎ましく思うこともない。せいぜいシカの甲高い鳴き声がするくらいだ。
山奥なら人が少ないから、おなら出し放題だ。ところ構わず出したいときに、プッと出せる。都会ではいつでも周りに人がいる。街なかに住んでる人は一体いつ屁をこいてるんだろう。屁意(尿意のおなら版)を感じるたびに、トイレに行くのかな。それとも、音を出さないよう訓練を積むんだろうか。都会の人は大変だ。
山奥に集まって住むと、山奥の「必ず自炊しなければいけない」だとか「刺激がなくて退屈」だとかのデメリットが打ち消される。
ひとりだったら、山奥は不便で暮らしていけなかったかもしれない。
僕が5年も山奥にいられたのは、一緒に住んでくれる人がいたからだ。
*
そもそも不便は悪いことだろうか。
「不便益」という言葉がある。
不便だからこそ、良いことがあるという考え方だ。
「若いときの苦労は買ってでもしろ」という話じゃない。山奥ニートがそんなこと言うわけないじゃないか。
たとえば、貯金箱。
蓋を開けるだけで入れたお金を簡単に取り出せる貯金箱と、一旦お金を入れてしまったら割るまで出せない貯金箱、どちらがいいだろう。
蓋を開けられる貯金箱のほうが便利だ。割らなきゃ出せないほうは、間違えてお金入れてしまっても取り出せないし、一度割ってお金を出したら新しい貯金箱を買い直さないといけない。地球にもやさしくないね。
でも、お金が貯まりやすいのは割らなきゃいけないほうだ。
蓋があったら少し欲しいものができるたびに、出して使って貯まらない。
蓋があるほうが便利なのに、不便なほうが目的には合っている。
これが不便益の考え方だ。
介護の世界では「バリアアリー」という言葉があるそうだ。
バリアフリーじゃない、バリアアリー。バリア、有り。
バリアアリーのデイサービス施設には、わざと長い階段や、段差が設けられている。スロープやエスカレーターをいつも使っていたら足の筋力が弱ってしまう。
何の苦労もなく生活していたら、ボケだって進行していくだろう。
わざと不便さを残すことで、お年寄りが自分の力で生活できるように訓練している。
僕の住んでいる共生舎は住所を公開している。
遊びに来たければどうぞ、とも言っている。
普通インターネットに住所を公開したらヘンな奴が来るだろう。
でも今のところ、そんなにヤバい奴が来たことはない。
僕が思うに、その理由は山奥だからだ。ここに来るには相応の覚悟がいる。初めて来るほとんどの人は口を揃えて「想像以上に山奥でした」と言う。山の中では携帯電話だって繫がらないんだ。だからしっかりとした事前準備なしにはここに辿り着けない。
僕らはこの山に守られている。これも不便益だろう。
この集落には、未だに薪を割ってお風呂を沸かしてる人だっている。年金もらえるんだから、もっと便利な町に移り住めばいいのに。お湯なんてガスで一瞬で沸かせるし、スーパーも近くて便利だろう。
でもそうしない。山奥が好きなんだって。
逆も言える。苦労しないことが幸せじゃない。ニートは親の金で飯が食えて羨ましいと言う人がいるけど、そんなことない。多くのニートは焦りとプレッシャーの中で戦っている。経験者の僕が言うんだから間違いない。
便利なことと、幸せなことは直接結びつかないんだ。
まったく関係ないわけじゃない。技術が進歩して便利になったおかげで幸せになったことはたくさんある。
でも、たまには不便なほうが良いことがある。
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