ryomiyagi
2020/05/27
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2020/05/27
「ニート」という言葉が定着して久しい。厚生労働省によるニートの定義というのは「15~34歳で、非労働力人口のうち家事も通学もしていない方」とのことだけれど、そういう意味では、著者は厳密にいうとニートではないのかもしれない。働かない、わけではないのだ。
携帯電話の電波も十分に入らない和歌山県の山奥の限界集落。廃校となった小学校に、月1万8000円で共同生活を送る15人のニートたちが暮らしている。
「娯楽も買い物もネットで事足りる。それなら、都会でひきこもっても山奥でひきこもってもおなじだ」とする彼らは村の住民から農作業の手伝いを任されたり、近くのキャンプ場で働いたり、ブログ広告などを活用して、各自生計を立てている。年収は30万円ほど。とはいえ、生活するのにお金はほとんどかからない。
山奥には森や川など無料の遊び場がたくさんある。出かける用事はあまりないから、必要なのは車のガソリン代くらいだ。街では咽喉が乾くとコンビニで水を買わなくてはならないけれど、座って休むだけでお金がかかる都会とはちがい、ここでは蛇口をひねれば清水が流れる。山奥には無料の食べ物も豊富だ。
もちろん、不便もある。ニートたちが住んでいる家までは最寄り駅から車で2時間もかかる。徒歩圏内に住んでいるのは5人のお爺さんとお婆さんのみ。いつでも便利な場所に移り住めるのに、地域の人たちがあえて山奥に住んでいるのは「便利なことと、幸せなことは直接結びつかない」からだと、著者はふんわりアドバイスする。
著者の石井あらたさんは大学中退、職歴ナシ。東日本大震災をきっかけに気持ちに変化があり、共生舎(和歌山県田辺市)が過疎となった集落へのニート・ひきこもりの移住を募っていることを偶然知り、参加した。
「僕には、働かなければひとりの人間としては認められない、というこの社会が嫌だった。
でも、あれから10年近く(東日本大震災から)が経って、何かが変わっただろうか。
東北の一部以外は、なにもなかったかのように元通りにうなった。
天と地がひっくり返ったような出来事だったのに。
社会のしくみが一瞬にして変化する、なんてことはないんだな。」
それなら、と石井氏は自分で新しい社会を作ろうと考えた。とはいえ、一人で考えていてもしょうがない。まずは自分と似た境遇の人を見つけようと思い立つ。ひとりでいるから、自分には価値がない、何もできないと思ってしまう。その想いは他のニートたちとの共同生活にも表れている。基本的には、互いの過去の話はしない。誰にだって心に抱えたものがあるからと、互いの微妙な価値観を尊重する。「本名だってフルネームで言えるのは数人しかいない」という。だけど「うまく言えないけど、なんとなくゆるやかな空気が流れている」のは、ここが精神的にも身体的にも人と適度な距離を保つことの許される、危険を感じない空間だからだ。ここでは個人の気まぐれが歓迎されるのだ。
地元の人たちとの会話は実用的なものばかりで、からかわれたり、いじられることがない。災害と隣り合わせの生活は、自然への感謝と敬意を抱かせる。新しい商品が作られては、古いものが捨てられる大量消費の世の中だけど、彼らの家では今もニンテンドー64が現役だ。山奥で生活する彼らの考え方と生き方をたどることがそのまま、日本の現代社会への鋭い問いかけにもなっている。最近、生きづらさやストレスを感じている方に「新しい生き方」としておすすめする一冊。
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