ryomiyagi
2020/08/11
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2020/08/11
神保:今回、黒川さんの事件で検察が正義の味方になってしまったせいで、日本の検察、特に刑事司法に、重要な問題があるということが忘れられている気がします。その意味でも、このやりとりを、もう一度、確認しておきたいと思います。
2013年5月に開かれた国連の拷問禁止委員会でアフリカのモーリシャスの代表が日本の「人質司法」を厳しく追及しました。日本はいままで、6回同様の勧告を受けているのに、一向に改善されないからです。
その中で「日本の刑事司法制度は自白に頼りすぎており、中世(the Middle Ages)のようだ」と言った。それに対して、当時の、日本の外務省の上田英明人権人道担当大使が反論した。その時の内容です。
「もちろん日本は中世ではありません。われわれは、この分野では世界でももっとも進んだ国の一つです。(会場から失笑)笑うな。なぜ笑うんだ。黙れ!(間)黙れ! われわれは、この(司法の)分野では世界でももっとも進んだ国の一つです。それを誇りに思います。まだ足らないところもありますが、どこの国にも足らないところはあります。われわれはそれを改善するために懸命に努力をしています。紳士、淑女の皆様、日本代表団に代わりここに御礼を申し上げます」
宮台:何回聞いても、笑うしかありませんね。
神保:シャラップという言葉のニュアンスがわからずに言ったとは考えられない。Be quietはかなり強い言葉です。「お黙り」くらい。シャラップというと、さらに強い。どちらかというと、「うるせー、このヤロー」みたいな感じです。
日本の国政的な存在を高めるために選ばれた大使が、国際会議で失笑を買うというのは、日本の外交上、大変な問題です。
でも、今回、注目したいのはそこではありません。モーリシャスから見ても、日本の刑事司法制度は、ありえないと思われているということなんです。
それは、2つの理由があります。ひとつは、人質司法の問題です。
日本はまず、勾留期間が長い。72時間と20日。
警察が逮捕して48時間以内に検察に送致しなければいけない。
検察に送るかどうかを24時間以内に決める。勾留令状を裁判所に検察が申請して認められるとまず10日間勾留されます。それが、もう10日間延長できる。検察で20日間、最初の警察と送致の24時間の猶予を含めてトータルすると23日間の勾留ができる。
各国と比べると異常に長い。さらに、その間、ずっと取調べをしている。その取調べで自白が出れば、基本的には有効になります。
たとえばアメリカで、10日勾留して自白させても、「精神的に追い込んで強要された」とみなされます。任意性がないから有効ではない、裁判では証拠として採用されない。だから、勾留しないわけです。ところが日本は、この23日間いつでも自白を取ることができる。
技術的な話のように聞こえるかもしれませんが、一番自白を取りやすいのが、実は勾留延長長の前だといいます。いま、ここで言わなければ、もう10日勾留されると思うと、耐えられないということで自白してしまう。
宮台:ゴーン氏のケースが、まさにそうでしたが、もっと、ひどいのは、いったん釈放するという手続きをとる。
神保:1階まで連れて行って、釈放手続きを取って、さあ、出ようというところで、再逮捕。そして、最初からやり直し。さらに、日本の場合、取調べの間、弁護士の立ち合いができません。それも世界の中で日本だけです。
それから、可視化が進んでいない。刑事訴訟法の改正によって、特捜部が捜査した事件と裁判員裁判は原則として録音録画が義務付けられました。しかし、それは全刑事事件の2~3パーセントです。
ゴーン氏の場合、最初の事件を、同じ容疑なのに、最初の3年と後半の2年をわけて46日も勾留した。だから、世界中がこの人質司法はひどいのではないかとなった。
その意味で、僕たちは、ゴーン氏が有罪か無罪か、といった個別の事件とは別に、この制度は正統性がないということを言っているわけです。
弁護士の立ち合いがないのが、どのくらい異常か? 検察官は法律の専門家です。罪を犯したとされる人はそうではない。プロ野球の選手と草野球の選手より、もっと差があるわけです。だから、あまりにも、ひどい司法制度だといわれている。
その上に、もうひとつ重大な問題があります。検察官が公訴権を独占しているということです。2つの法律があります。刑事訴訟法の第247条と248条です。
247条は「公訴は、検察官がこれを行う」。248条は、いろいろな事情があれば「公訴を提起しないことができる」。だから、公訴をするかしないかは検察官が決めていいと刑事訴訟法に書かれている。
厳密に言うと、強制起訴の制度ができました。だから、100パーセント独占しているとは言えません。ただ、本当に例外だし、その裁判で実際に有罪になることはほとんどない。つまり、検察がこれは起訴できないと判断したのに、検察審査会で起訴相当議決で裁判にかかって有罪になることはほぼない。事実上、検察官が公訴権をほぼ独占している。
宮台:民事との比較で考えるとわかりやすい。民事には公訴権はありません。弁護士を通じて裁判所に申し立てを行えば訴訟になります。刑事事件の場合は、親告罪か非親告罪という問題はありますが、普通は検察官が「これは裁判にしません」ということはできない。
僕が何かの犯罪被害にあって、警察署に届けて警察官が逮捕すれば、そのまま裁判になる。刑事事件の場合は検察官が裁判をするかしないかを決められる。検察の段階で裁判はしないことがありえる。それが、公訴権の独占の問題です。
神保:よく言われるのは、日本の有罪率の高さです。2018年の実績では、単純計算では99.96%。起訴されれば、ほぼ有罪になる。
「検察が優秀だから、起訴すると必ず有罪になる」と言われますが、逆に言えば、検察が一回起訴すると「絶対に有罪にしなければならない」。だから、でっちあげや虚偽の自白が生まれやすい。
日本では警察に逮捕されただけでまるで犯人のように扱われますよね。その際に、「逮捕されたらほぼ間違いなく有罪になるからだ」と言う人がいますが、それは大きな間違いです。有罪率というのは起訴された人が有罪判決を受ける確率のことで、逮捕の段階では決してそんなに高い確率で有罪になることが決まっているわけではありません。
実際は逮捕されて起訴される確率は3~4割なので、逮捕されても起訴されない可能性のほうがずっと大きい。交通違反を除いても、逮捕されて起訴される割合は5割程度です。
全刑法犯では、検察は3分の1強しか起訴していない。そのあとは、ほぼ100パーセント有罪です。
ということは、一審の有罪か無罪かはここで決まっている。つまり、日本では検察が事実上、裁判所の役割も担っている。三権分立どころではない。一審で、検察と裁判所を一緒にやるわけです。しかも、最初に述べたように、中世的だといわれるような問題を抱えている。
宮台:日本の司法制度を参考にした韓国でも30日と長いけれど、取調べに弁護士の立ち合いがあるし、録音録画もされる。
神保:単に、取り調べにおける中世的な、あえていえば「野蛮さ」をもっているというだけでなく、法律の文面で、検察の公訴権の独占を認めているということなんですよね。
宮台: 100パーセント有罪にもちこめると確信しない限りは公訴しない。ということは、検察官が確信をもてない、微妙な事案は不起訴になってしまう。
僕らの感覚からすると、100パーセントでないものこそ裁判で明らかにすべきだと思う。しかし、「100パーセント有罪になると確信できなかったので、裁判にしませんでした」ということが起きている。
神保:重要なのは、100パーセントの意味です。100パーセント、犯罪をしたかしなかったではなく、裁判で100パーセント有罪にできる証拠があるかどうか、なんです。
極端に言えば、していなくても証拠さえそろっていれば起訴するし、している場合でも、裁判に勝てなければ起訴しないということがありえる。
宮台:僕の言い方だと、裁判では神の目で見た時に、その人がやったかどうかではなく、合理的な疑い(beyond a reasonable doubt)をさしはさむ余地がないところまで証拠によって犯行が立証されているかどうかを判断する。それが、刑事裁判の特徴です。
裁判で裁かれる対象は検察官の証拠固め。検察官がきちんとやっているかを裁判官が判断する。僕の師匠の小室直樹風に言うと「刑事裁判というのは検察官を裁いているのだ」ということです。
神保:両方が証拠を出し合って、どちらが有利かを裁判官が判断しているのではない。検察は強制調査権を持っていますから、そんなことをしていたら弁護側が勝てるわけがない。弁護側は検察側の主張に百のうちひとつでも合理的な疑いをさしはさむことができれば「勝ち」なわけです。ただ、検察側は裁判に不利な証拠は提出しなくていい。
宮台:しかも、自分たちがどういう証拠をもっているかも開示しなくていい。都合の悪い証拠はなかったかのように扱うことができるのです。
文/河村 信
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