2018/11/14
塚越健司 学習院大学・拓殖大学非常勤講師
『ホモデウス』河出書房新社
我々が生きているこの世界の主役は誰だろう。もちろん人間だ、と読者は考えるだろう。しかし、人工知能が普及したそう遠くない未来において、人間はこの世界の主役の座を降りるかもしれない。前著『サピエンス全史』で世界にその名を知らしめたイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ(1976~)は、本書『ホモ・デウス』において、この問題を突き詰めていく。
■人間とは何か
そもそも人間とは何だろうか。人間ついて考える学問には長い伝統がある。昨今流行りの人工知能も、もとを辿れば人間を知るために、人間の「思考」を再現する機械をつくろう、という動機がその一つにある。一説には、人工知能の父の一人とも呼ばれるイギリスの数学者アラン・チューリング(1912-1954)の研究動機には、若くして亡くなった友人の魂を機械によって復活させたい、といった願望があったとも言われる(その輝かしい経歴の一方、同性愛者として迫害された後に自殺したチューリングの生涯は、映画『イミテーション・ゲーム』に描かれている)。
また一神教世界の西洋では基本的に、神がすべてを創造したと考えられている。それ故に、なぜ他の生物と比べて人間の知能がここまで発達したのか、その神の考えを知るためにも、人工知能を通して人間の思考を解読しようという動機もある。すべてのモノには神が宿る「八百万の神」を信仰する日本の文化風土とは異なる考え方だ。
話を人間に戻そう。ハラリによれば、過去数世紀にわたって人類は、神を排して人間を中心とする「人間至上主義」の時代を生きていると主張する。興味深いのは、あくまで人間至上主義とは革命的な教義であり、神に代わる新しい宗教だと考えている点だ。人間至上主義の時代を生きる、近代的な人間とは何か。それを一言で表現すれば「主体であり客体である」となる。どういうことだろう。
考えてみれば人間とは不思議な存在だ。我々は常に自分について考えている。しかし、自分について考えるとは、自分が考える主体でありながら、自分が考える客体=対象objectでもあるということだ。英語の文法的に言えば、自分はS(主語)でありながら、同時にO(目的語)でもある。「私は私について考える」とき、私は主語と目的語の2つに分割されていることになる。そしてこの複雑な人間観こそが、世界や自分など、あらゆる現象について深く思考することを可能にする。フランスの哲学者ミシェル・フーコー(1926~1984)は、こうした人間観を生み出した契機を哲学者カント(1724~1804)と捉え、それを「経験的=超越論的二重体(un doublet empirico-transcendantal)」と呼んだ。それまで主役だった神中心の時代を終え、人間が人間について考える、人間中心主義、すなわちヒューマニズムの時代が誕生したというわけだ。
■ポストヒューマニズム
しかしハラリは本書において、このような人間至上主義の時代が終焉すると主張する。その際に重要なキーワードは「ポストヒューマニズム」であろう。ポストとは「後の」を意味しているのだが、人間至上主義時代の後は、誰が主役になるのだろう。
え?世界の中心は人間に決まっているじゃないか?と読者は思うかもしれない。でも待ってほしい。例えば「環境に配慮」という時、我々は人間よりも、地球(環境)を第一に考えているではないか。環境問題の主役は人間ではなく「地球」だ。たとえ地球を守ることが人間を守ることであったとしても、人間のためだけに地球があるわけではない、という考えは少しずつ浸透しはじめている。
動物の権利についても考えてみよう。動物への愛護精神はますます高まりつつある。例えば食肉用に飼育される動物を不衛生で過酷な環境で育てることは、動物の権利の立場から異論が唱えられており、一部の地域では、必要以上に動物を苦しめないことがルール化されている。それは人間が食べる際の安全面への配慮から生じた議論でもあるが、他方、動物だからといって何でも許されるわけではない、という考えもここ数十年間議論が行われてきた。一部の動物には痛覚などの、人間とまったく同じではなくとも、少なくとも人間の配慮の対象となる感覚があることもわかっている。我々は人間と動物を簡単に区別することが難しくなっており、ここでもまた、人間至上主義が必ずしも成立し得ないことが考えられる。個人的には、100年後の世界に、今のような形で動物園があるかどうかは甚だ疑問である。
■人間「間」のポストヒューマニズム
ここまでのポストヒューマニズムは、人間かそうでない存在か、が問われた。一方、ポストヒューマニズムの動きは人間内部にも存在している。最近の研究では、同性のマウスの細胞から遺伝子を取り出し、ゲノム編集技術を施すことによって、その細胞から子供を生み出す実験が成功した。実験では、メス同士もオス同士のマウスからも子供が生まれたのだ(オス同士から生まれたマウスは数日で亡くなってしまったが)。
これはマウスの実験だが、ゲノム編集技術は日々進歩しており、技術的には人間に適応することも可能になるだろうと言われている(というより、そのような研究が水面下で進んでいる)。すると、生まれてくる子供の病気を未然に防ぐといった治療的な側面だけでなく、将来は目の色を変えたり、身長を意図的に高くなるように編集することが可能になると言われている。これはいわゆる「デザイナーベイビー」問題と呼ばれ、議論が活発だ。もちろん生命倫理の観点等から今後も議論されていくわけだが、ここでも現在の「人間」とは異なる人間存在が議論されている。
遺伝子の他にも、脳内に電極を埋め込んで人間の能力向上を目指す「サイボーグ」技術の開発も進んでいる。現状の人間よりも秀でた能力をもった人間や動物を生み出す技術開発が、日々進められているのだ。人間の能力が向上(エンハンス)した世界において、新人類と旧人類が争うというテーマは、『機動戦士ガンダム』シリーズの中でしばしば描かれてきた。このようなSF的な世界を可能にする技術が開発されている。こうして、何が「人間(ヒューマン)」が今後はますます問われていくだろう。
■データ至上主義の時代の主役は誰か
ハラリは人間至上主義、つまりヒューマニズムの時代が終わりを迎えると主張するが、そのための重要な要素に「人工知能」を挙げている。昨今流行りの人工知能は、あらゆるデータを飲み込み、それらを分析することで、人間を新たな段階に導くという。我々が人工知能にデータを提供することで、生活の利便性は飛躍的に向上する。例えばアップルウォッチのようなウェアラブルデバイスを用いることで、日々の健康管理が行われ、心臓病や生活習慣病などの予防が可能となるだろう。より集中できる時間や環境が分析され、どのような時間に何をすべきか、最適な回答が人工知能から送られてくる。人工知能の指示に反対しても、新たなプランが人工知能から送られてくる。さらにそれに反対しても、結局は自分の「損」になるが故に、人々は人工知能との友好関係を築くようになるしか道はないのかもしれない。
こうした新たな時代は本書において「データ至上主義」と呼ばれるが、データという神が新たな宗教として、人間至上主義の後の時代を形作るとハラリは考える。では、そのようなデータ至上主義の時代における主役は「機械」なのだろうか。それとも、機械とともに生きていく「人間」が主役なのか。その際の人間とは、どのような存在なのだろうか。本書を読む上で、その点について注意しながら読むことをおすすめする。いずれにせよ、人間が主役という考えは、「波打ち際の砂の表情のように消滅するであろう」(フーコー『言葉と物』)。そのような新たな時代を、我々はどう生きるべきか。本書を読みながらじっくり考えたい。
『ホモデウス』河出書房新社