2018/11/15
藤崎慎吾 作家・サイエンスライター
『追跡!辺境微生物 砂漠・温泉から北極・南極まで』築地書館
中井亮佑/著
■作家には2つのタイプがいる
作家には、ネタ集めや取材と称して、しょっちゅう外を出歩いているタイプと、書斎に閉じこもっているタイプとがある、と言われる。どっちがいいとか悪いとかいう話ではないが、僕はたぶん前者だと思っている。
つまり行ったことのない場所や、目にしていない物事について、資料だけに頼りながらまことしやかに書くのは(そうせざるをえない場合は多々あれ)、なるべく避けたいほうなのである。
そして研究者にも、しょっちゅうフィールドに出かけてサンプルやデータをとってくるタイプと、研究室に閉じこもって人が集めてきたサンプルやデータをひたすら解析しているタイプとがいそうな気がする。だとすれば本書の著者である中井亮佑さんは、明らかに前者だ。
タイトルにもある通り、中井さんは地球上の、あまり人が行かないような場所を経巡っている。「いや、温泉ならよく行くよ」と思った人はいるだろう。しかし中井さんが行く温泉というのは、レモン汁や胃液より強い酸性だったり、石鹸水や炭酸ソーダより強いアルカリだったりするのだ。
酸性のほうで中井さんが調査した温泉は、日本の薩摩硫黄島にある。一方でアルカリのほうはアラビア半島のオマーンにあり、人里離れた山岳地帯まで出かけていったらしい。
僕も本書に出てくる広島大学生物生産学部附属練習船「豊潮丸」に乗せてもらい、薩摩硫黄島の調査に同行したことがある。まだ学生だった中井さんに初めて会ったのは、その船上だったかもしれない。そして強酸性の野趣溢れる温泉にも、実際に入っている。
緑色をした湯は50℃前後と非常に熱かった。どっぷり浸かると、全身を引っかかれるような痛みが襲ってくる。とても、のんびりくつろげる気分ではなかった。しかも直後に痔が悪化して、まともに歩けなくなった。散々だ。
■「変わった生きもの」を探し、世界中を駆け巡る
しかし、そんな温泉の中でも、元気に生きている生物たちがいる。ほとんどは目に見えない細菌や古細菌などで、しばしば「極限環境微生物」と呼ばれている。南北両極や砂漠、深海など「辺境」と呼びうる場所には、そういう「変わった」生き物が多く暮らしている。
しかし地球全体では、我々が心地よく過ごせるマイルドな環境のほうが、むしろ珍しい。世界はもっと過酷であり、微生物から見れば人間はひ弱な少数派だ。そして中井さんが追っているのは、そういう小さなサイレント・マジョリティ、あるいは「未知の主流派」たちのほうなのである。
人間にとっては厳しい環境に出かけていくのだから、もちろん調査も楽ではない。砂漠では乗り心地の悪いヒトコブラクダにしがみつき、北極では自らライフルを手にしつつホッキョクグマの気配に怯え、南極ではブリザードで何日も小さな観測小屋に閉じこめられた。
そういう調査現場での苦労や喜び、あるいは準備段階での困難と、それを乗り越えた時の達成感などが、本書では具体的かつ臨場感豊かに綴られている。僕も読んでいるうちに、ちょっとだけ、中井さんと一緒に旅をしている気分を味わうことができた。
そもそも辺境へ行くこと自体に、しばしば高い壁が立ちはだかっている。なかなかチャンスはないし、お金も日数もかかるからだ。
中井さんも博士論文を書く時には、研究室で他人が採ってきたサンプルの培養や分析に追われていた。それは南極産のコケ類にくっついている微生物で、さすがに自分で集めるにはハードルが高かったのである。
しかし「いつか南極微生物の棲む世界を、自分の目で見たい!」という熱い思いを、ずっと抱き続けていた。これが研究者魂というものだと思う。
サンプルは手元にあるのだから、それで間に合うじゃないか、と人は思うかもしれない。ちがうのだ。本物の好奇心は、そんなことで満たされたりはしない。
■極限生物の研究者は、自らも極限生物でなければならない
日本の場合、中井さんのように若い研究者は、任期つきの仕事しか得られないことが多い。つまり非正規雇用者である。常に次の職のことを心配していなければならない。南極に行けるチャンスが巡ってきた時にも、中井さんはそういう状況だったが、躊躇しなかった。
もともと中井さんは行動力のある人だったのかもしれないが、それをパワーアップしたのは、おそらく師匠の広島大学教授、長沼毅さんだろう。知る人ぞ知る「科学界のインディ・ジョーンズ」という異名をとった人物である。
僕は8年ほど前、長沼さんとの共著で『辺境生物探訪記 生命の本質を求めて』(光文社新書)という本を出した。本書のタイトル『追跡!辺境微生物 砂漠・温泉から北極・南極まで』は、これとよく似ている。
でも「パクリじゃないか」と文句を言うつもりはない。師匠の本の続編を弟子が書いてくれたような気がして、むしろうれしい。
長沼さんはよく「極限生物の研究者は、自らも極限生物でなければならない」と豪語していた。確かに色々な意味で極限的な人なのだが、その下で何年も学生をやっていた中井さんもまた、かなりのサバイバル能力を身に着けていると思う。
中井さんは本書で「私が考える真の極限環境とは『環境の劇的な変化』だ」と書いているが、その言葉には自身の歩みも多少は反映されているのかもしれない。少なくとも長沼研究室に属していた間は、のんびり一つ所に留まってはいられなかっただろうから。
念のため本書の魅力は、若き研究者の夢と冒険に溢れた物語だけではない。微生物に関する最先端の知見も、わかりやすく紹介されている。
とくに最終章で語られる超微小微生物の世界は、「生物と無生物の間」に関するこれまでの考えを覆す可能性があり、とてもワクワクさせられる。読んで損はないはずだ。
中井さんには、ぜひ師匠を超えていただきたいと思う。まだ訪れていない深海、そして宇宙――辺境こそ広大だ。見上げるほどの巨体に柔和な笑顔を載せた中井さんが、いつかとんでもない場所から手を振ってくれる日を、心待ちにしている。
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