2018/11/16
藤代冥砂 写真家・作家
『ジャッカ・ドフニ 海の記憶の物語』集英社
津島佑子/著
アイヌ民族への興味から、オホーツク海から東シベリアに住む北方少数民族へとさらに好奇心が広がり、しばらく没頭した時期があった。
サハリンへ二度、東シベリアに一度、実際に足を運んで、現地の少数民族のいくつかを訪ねポートレイトに収めていった中、いつかは写真集、写真展、そして小説へと結実させたいという想いが強まっていった。
なので、「ジャッカ・ドフニ」というタイトルの小説の存在を知った時に、まず少なからずの苦味を心に感じた。先を越された、という思いからだ。作者は津島佑子さん。その名はもちろん知っていたが、太宰治さんの次女という以外は代表作も知らず、いつかは読んでみたいと先送りされていたことを、読み始めてすぐに悔いた。出会った時がベストのタイミングだとは承知しているが、津島佑子さんを読むのは、遅刻が過ぎたと悔いたのだ。
タイトルのジャッカ・ドフニは北海道の網走にあるウイルタ族の資料館である。北方少数民族であるウイルタは北海道のオホーツク海沿岸に住み、そのことはあまり知られていない。日本にそのようなマイノリティ民族がいることを私が知ったのは二十年ほど前で、おそらく大方の日本人はアイヌこそ知れども、ウイルタは存外だろう。ちなみに、そのウイルタ族は、婚姻などにより日本人化が進み、文化の保存も十分でなく、また改めて名乗ることもないので、さらにその存在が認知されづらい状況にある。
北方の少数民族の資料館の名がタイトルとなっているからには、当然その周辺の話も出てくるのだが、その先は地理的にも歴史的にも無尽に話は広がって、読みながら幽体離脱でもしそうな眩暈に見舞われた。
朝日新聞の書評で柄谷行人さんが「世界文学史において類を見ないような作品である」と評していたが、南米の文学のようでもあり、被征服民の土着神話のようでもあり、そこに津島佑子さんが紡ぐ言葉からの言霊の響きが重なって、読書の喜びに溺れそうになるのであった。
話は福島の原発事故から、北方少数民族、アイヌ、潜伏キリシタン、マカオ、インドネシア、17世紀まで広がり、民族、信仰、漂泊、を経由して、人間の存在へと深く揺さぶられる内容となっている。
459ページに及ぶ遺作長編であるが、最後にこれを書き切る体力は、執念すら感じさせる。よもやそんなことはあり得ないのだが、半身を入れた死後の世界から、こちら側を覗いて書いたかのような、常世離れした香しさと闇とがある。とはいえ現実にはしっかり繋がっている綱の存在感があり、それゆえに揺さぶりは深い。遠くの幻想ではなく、血に染み付いた縁が突然目の前の風景を裂くようにして浮かび上がり、こちらへと迷いなく歩いてくるようだ。
また、信仰と民族と漂泊の魂とが三つ巴になって時ににじり寄り、時に彼方へ放たれていく筋立ては、日本語で書かれていることを忘れて、何か別の言語を体験している気になる。日本語で書かれる必要のない日本文学である。私もせめてそこを目指したい。
『ジャッカ・ドフニ 海の記憶の物語』集英社
津島佑子/著