akane
2018/09/27
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2018/09/27
2004年末に堀井氏が発表した「東都落語家ランキングは50位まで。1位は談志。2位が小三治、3位が小朝と続き、以下志の輔、権太楼、昇太、さん喬、談春、喬太郎、志らく、市馬、こぶ平、花緑、たい平、圓楽、正朝、歌丸、歌武蔵、馬生、志ん輔、三太楼、喜多八、扇辰、白鳥、桃太郎、扇橋、扇遊、鯉昇、雲助、そして30位の歌之介と続く。ここまでが「おすすめ」。31位から50位も「かなり楽しい落語家さんですよ」と書いていて、それを見ると堀井氏が「とにかく万遍なく数多くの演者に当たるべく寄席に通う」ことを重視しているのだな、ということがわかる。
特に僕が堀井氏の「万遍なさ」が表われていると思ったのは、「伯楽、いっ平、寿輔、米丸、馬風、園菊、小せん(先代)、勢朝」といった演者が50位までに入っているところ。一方で、当時の僕の実感では、堀井氏は立川流寄席にはあまり顔を見せることがなく、その結果(だろう)、50位までに立川流は「談志、志の輔、談春、志らく」しか入っていない。
興味深いのはこの2004年当時、堀井氏がランキング発表に際して「落語を聞きに行くと、とにかく客の年齢が高い。年寄りだらけだ」と書いていること。2005年の「落語ブーム」勃発前夜、まだ寄席の客席はそんな感じだったのだ。
落語家のランキングと共に、堀井氏は「2004年ホリイの聞いた落語のベスト15(聞いていてとても幸せになった落語15)」も併せて発表。1位が談志の『居残り佐平次』(町田)。伝説の「町田の居残り」である。当然だ。僕も選べと言われたら2004年の1位は「町田の居残り」しかあり得ない。2位が談志の『鼠穴』(横須賀)。これも同感だ。
3位が昇太の『富久』(下北沢)、4位が権太楼の『火焔太鼓』(浅草)。5位は談志の『紺屋高尾』で、これは浜松での口演。浜松! さすがに僕もそれは行ってない。談志の『紺屋高尾』は2002年1月の亀有で大きく変わり、2003年12月の調布で進化した。おそらく2004年3月の浜松の『紺屋高尾』はそれに準じた演じ方だったはず。(僕はその2ヵ月後に東京・国際フォーラムで談志の『紺屋高尾』を観ている)
そして6位が……こぶ平の『子別れ』(松戸)となっている。一貫して小朝・こぶ平の評価が高いのが堀井氏の特徴で、この辺は20世紀まであまり東京の落語を観ていなかった人ゆえのフラットな感覚のなせる業なのかもしれない。僕も正蔵襲名時に『子別れ』は観たが……。
ところで「ずんずん調査」の「ずんずん調査」たる所以は、主観によるランキングに留まらないところ。堀井氏はこの年、「2004年独演会ランキング すべての独演会に行った時にかかる金額」を集計してみせた。1位が断トツで志の輔の「29万2700円」、2位が小朝の「16万8300円」。この2人は単価もさることながら公演回数が圧倒的に多い。まだ2004年当時の落語界においては独演会を数多く行なう東京の落語家は少なかったのである。何しろ3位志らく、4位談志のあとは5位が喜多八、6位が談笑と続くのだから。(今となっては驚きだが談春は談笑の1つ下の7位だ)
こういう「どこまで意味があるのかわからない」数値の計算となると堀井氏の独壇場、この発想の面白さは誰も敵わない。
翌2005年、堀井氏は落語会に年間350回通って年末に再びランキングを発表。1位が談志で2位が小三治、以下権太楼、志の輔、小朝、昇太、談春、さん喬、志らく、市馬、喬太郎、志ん輔、喜多八、雲助、花緑、正蔵、たい平、白鳥、小遊三、歌丸……といった塩梅。以降も堀井氏は落語に通い続け、連載終了まで折に触れて各種ランキングを発表するだけでなく、ときにランキング形式から離れて「落語のどこが面白いのか」をわかりやすく語っていた。
もちろん週刊文春という媒体の性質上、落語の話題を取り上げるにも限度があるだろう。実際、担当から「落語が続きますね」と言われたこともあるらしい。それもあってか、堀井氏は演芸情報月刊誌『東京かわら版』の2006年11月号から、観た落語の様々なデータ分析を行なうコラム「ホリイの落語狂時代」の連載を開始、現在も続いている。「落語狂時代」は「読者がマニア」という前提なので、これでもかと細かいデータが発表され続けていて、本当に面白い。(ちなみに歌丸追悼特集号となった2018年8月号では「ホリイの聞いた歌丸のネタ」ランキングが掲載されていた。さすがだ)
堀井氏の落語論は「通い詰めている観客」の立場で書いているので説得力がある。ただ惜しむらくは、それぞれの落語家についての「どう面白いのか」の紹介はコラムという形態の性質上、極めて断片的なものに限られてしまう。
2005年から2006年あたりの時期、僕は「堀井さんが落語家ガイドの本を書いたら喜ばれるだろうなぁ」と思っていた。だが一向にその気配がない。「それならば自分が」と、僕が落語家ガイド『この落語家を聴け!』の書き下ろしを決意したのは2007年の春だった。
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