最大のミステリー「本能寺の変」を巡る数々の黒幕説 間違いだらけの信長像(2)
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BW_machida

2020/11/13

 

 信長ファンの読者が知りたいのは、なぜ明智光秀が本能寺の変を起こしたかであろう。実は、結論を端的に言えば、「わからない」のである。これまでもさまざまな説が提起されてきたが、いざ核心部分になると確証がないのだ。

 

 たとえば、信長が天皇に譲位を迫るなどしたので、危機感を抱いた朝廷が光秀に命じて信長を討たせたという説がある。朝廷黒幕説である。しかし、事実関係をつぶさに調べると、信長が天皇を圧迫していたことはなく、むしろ奉仕していたという結論になった。もちろん、朝廷が光秀に「信長を討て!」と命じた手紙は残っていない。

 

 信長と対立した足利義昭が光秀とつながり、義昭の命により光秀が信長を討ったという説がある。足利義昭黒幕説である。こちらは、関連史料の誤読のオンパレードで、根本的に間違っているので、もはや支持されていない説である。こちらも、義昭が光秀に「信長を討て!」と命じた手紙は残っていない。

 

 羽柴(豊臣)秀吉が怪しいという説もある。秀吉は信じがたいスピードで備中高松城(岡山市北区)から上洛し、光秀を山崎で討った(中国大返し)。本能寺の変を知らなければ、成し遂げられないというのが根拠であるが、秀吉が本能寺の変を予想していた(あるいは誰かから事前に知らされていた)ことを示すたしかな史料はない。

 

 ほかにもイエズス会黒幕説、堺商人黒幕説、本願寺黒幕説などがあるが、いずれも史料的な根拠がなく、おまけに荒唐無稽でとても信を置くことができない。決定的な史料的根拠が皆無なのだ。

 

 本能寺の変は日本史上最大のミステリーと言われているが、いずれの説も明確な史料的な根拠がない。もっとも問題なのは、史料の誤読と論理の飛躍を積み重ねて、トンデモ説になっていることだろう。ご注意を!

この記事を書いたのは…
渡邊大門(わたなべ・だいもん)
1967年生まれ。株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。1990年、関西学院大学文学部史学科卒業。2008年、佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。『井伊直虎と戦国の女傑たち』『こんなに面白いとは思わなかった! 関ヶ原の戦い』『地理と地形で読み解く 戦国の城攻め』(以上、光文社知恵の森文庫)、『関ヶ原合戦は「作り話」だったのか 一次史料が語る天下分け目の真実』(PHP新書)『明智光秀と本能寺の変』(筑摩新書)など著書多数。

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