ryomiyagi
2020/02/15
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2020/02/15
新戸雅章『江戸の科学者』(平凡社新書)2018年
連載第35回で紹介した『ぼくのマンガ人生』に続けて読んでいただきたいのが、『江戸の科学者――西洋に挑んだ異才列伝』である。本書をご覧になれば、江戸時代にどんな「科学者」が存在したのか、どこまで世界に通用する「科学」だったのか、彼らの波乱万丈の生涯がどのようなものだったのか、明らかになってくるだろう。
著者の新戸雅章氏は、1948年生まれ。横浜市立大学文理学部卒業後、SF同人誌を創刊し創作活動に入る。現在は、作家・テスラ研究所所長。専門は、科学史・技術史。とくに、トーマス・エジソンのライバルで「交流電気方式」や「蛍光灯」を発明したニコラ・テスラについての研究で知られ、『超人ニコラ・テスラ』(筑摩書房)や『知られざる天才ニコラ・テスラ』(平凡社新書)などの著書がある。
本書に登場するのは、江戸時代の多彩な「科学者」である。掲載順に、現在の学問分野で簡単に紹介すると、高橋至時(天文学・地理学、伊能忠敬の師)、志筑忠雄(物理学、「真空・重力・遠心力」などの用語を発明)、橋本宗吉(電気工学、電気実験の開祖)、関孝和(数学、円周率を計算)、平賀源内(医学・薬学・化学、源内焼や羅紗の発明)、宇田川榕菴(医学・博物学、シーボルトと交流)、司馬江漢(天文学・地理学、銅版画を製作)、国友一貫斎(天文学、反射天体望遠鏡を制作)、緒方洪庵(医学、種痘を実施し適塾を主宰)、田中久重(機械工学、蒸気船を制作)、川本幸民(化学・物理学、写真機を制作しビールを醸造)の11人である。
新書で11人を解説するためには、1人当たり20ページ程度の分量にならざるをえないが、本書では、各々の「科学者」の人生と業績がコンパクトに紹介されている。何よりも壮観なのは、鎖国により海外からの情報が少なかった江戸時代に、これほど先駆的な研究を行っていた「異才」たちが存在していたことである。彼らは、医学から薬学、化学から物理学、天文学から地理学と、好奇心の赴くままに研究を進めるレオナルド・ダ・ヴィンチのような「オールマイティ」の天才たちだった。
その代表格ともいえる平賀源内は、1728年に生まれた。長崎で蘭学と医学、江戸で本草学(現在の薬学・化学)を修めた後、再び長崎に行って鉱山の採掘技術を学んだ。伊豆で鉱床を発見し、殖産事業を起こし、物産博覧会を開いた。西洋画を描き、「源内焼」と呼ばれる陶磁器製作法や「羅紗」を発明し、秩父の鉱山開発では「石綿」を発見した。江戸では「戯作の祖」として、多くの浄瑠璃作品を残している。
平賀は同性愛者であり、妻帯せずに、歌舞伎役者を愛して過ごした。そのことが関係した事件ともいわれているが、52歳の彼は酒に酔って大工の棟梁を切り殺して自首した。その1カ月後、小伝馬町の牢獄で病死したという。ただし、実際には脱出して故郷の高松藩に戻り、藩主から庇護を受けて生涯を送ったという説もある。
親友の杉田玄白は、平賀の「碑」を建てた。彼の書いた撰文は「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常」(ああ何と不思議な人だろう。常識を超えたものを好み、常識を超えた行動をする。なぜ死に様までもが常識を超えているのか)である。
また、1810年に生まれた緒方洪庵は、長崎のオランダ医師から医学を学び、大阪に「除痘館」を開設して「牛痘種痘法」を広め、無数の人命を救った。当時は、伝染病が流行すると「天狗の祟り」だと軒先に「葉うちわ」をぶら下げた時代である。「葉うちわ」が売り切れると、庶民は「ヤツデの葉」で代用した。ヤツデもなくなると、代わりに足が8本だからタコでもいいだろうとタコをぶら下げたという。
この「ばかばかしい」話は、実は前回紹介した手塚治虫の『ぼくのマンガ人生』に登場する。手塚の曽祖父は、緒方の設立した「適塾」で学んだのである。「適塾」は、福澤諭吉や大村益次郎をはじめ、その後に活躍する多くの逸材を輩出した。
杉田玄白や青木昆陽、華岡青洲、佐久間象山、伊能忠敬、渋川春海といった大物の名が抜け落ちているが、それについては、多分に筆者の好みであることをお断りしておきたい。筆者はもともと、業績は抜群だが世間的には無名の科学者、有名だが誤解されがちな科学者に関心がある。その好みに沿って選んだのがこの11人だった。(P.6)
江戸の異才たちの強烈な個性はどのようなものだったのか、彼らが後世に何を残したのかを知るためにも、『江戸の科学者』は必読である!
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