梓 林太郎『小倉・関門海峡殺人事件』著者新刊エッセイ 大作家と見る関門海峡
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ryomiyagi

2020/05/22

北九州小倉のことを話したり書いたりすると、かならず松本清張さんを思い出す。

 

私は二十年のあいだ清張さんとは深いお付合いがあって、その間三度、旅行にお供した。

 

「講演に行くが、一緒にどうかね」と、誘ってくださった。三度のうちの一つが福岡。講演がすんで一泊したあと、清張さんの希望で小倉へ行くことになった。

 

それよりずっと前に私は小倉を訪ねたことがあり、そのときの記憶を話したのだが、「市電(路面電車)に乗ったら、窓が鉄錆色をしていて、外がよく見えなかった」といった。すると清張さんはうなずいて、「西のほうからの風が吹くと、錆の匂いがしたものだ」といわれた。

 

清張さんが生まれ育ったところは、小倉の旦過市場(たんがいちば)の近くだったという。市場はせまい小路の両側に小さな商店がずらりと並んでいて、あまり明るくなかった。

 

市場近くの紫川の岸辺に立った。偉大な作家になっておられたが、やはり成長期を過ごした土地は懐かしく、かずかずの思い出が蘇るのか、草を踏んで、ゆるやかな流れと橋をしばらく眺めていた。

 

そのあと門司へ移り、港を左目に入れながら突端の和布刈神社の鳥居をくぐって、海峡に顔を向けた。早鞆ノ瀬戸である。

 

関門橋がまたぐ対岸との幅は約七百メートルで、向こうは下関の壇之浦だ。清張さんは幼いころもこの海峡を眺めたことがあったのか、石の柵をつかんで、一日のうちに海流が四度も変わるといわれる青い海を、見つめておられた。

 

荷を積んだ鉄の船が、渦を巻いている波の逆らいをものともせずに滑っていった。船の行方でも見届けるように見送っていた清張さんは、その情景を記憶にとどめたかったのか、長いことそこを動かなかった。私は渦巻く海と低く飛ぶ海鳥よりも、その広い背中をじっと観察した。

 

『小倉・関門海峡殺人事件』

 

【あらすじ】
小倉在住のシングルマザー・門島由紀恵が穂高岳登山中に命を落とした。鑑識の報告で他殺と判明し、松本署の道原伝吉が捜査を開始。聞き込みから彼女の父と祖父が関門海峡近くで不審な死を遂げていたことを知るーー。人気旅情ミステリーシリーズ最新作。

 

【PROFILE】
あずさ・りんたろう 
長野県生まれ。1980年に短編「九月の渓で」で第3回「小説宝石」エンタテインメント小説大賞を受賞してデビュー。人気シリーズを生み出し、山岳ミステリーの第一人者となる。

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