BW_machida
2022/12/02
BW_machida
2022/12/02
人にはみな平等に死が訪れる。なのに私たちはその当たり前の死を意識の片隅に追いやり、無尽蔵であるかのような生を貪る。いつかは終わりがくることを知っていながら、だらだらと、当たり前に、自分が、自分の大切な人達が今日も生きると信じている。
父が亡くなった。
日曜日の昼下がり。古武道の稽古から帰ってシャワーを浴び、リビングに戻りふと携帯をひらくと、姉からの不在着信。その日、当時付き合っていた人と少し遅くなったバレンタインディナーの予約をしていた私は、化粧水を念入りに肌に染み込ませながら、折り返しの電話をかけた。
「あんた、どこおるん」
「稽古行っとって、お風呂入ってた」
「オカンから電話あってな、帰ったらオヤジが倒れてて、今救急車に乗ってるみたいやけども、見つけたときにはもう、あかんかったみたい……」
え……嘘やん?と笑ってみても、震える姉の声からただ事ではないことを悟り、急に涙が溢れだす。涙ぐみながら、マジかー、あぁ、直前やけどもレストランキャンセルできるかなぁ、仕事休めるかな、外寒そうやなぁとか言ってみるものの、自分でも驚くほど、どうでもいい言葉しか出てこない。そのまま姉と東京駅で待ち合わせる約束をして、スーツケースに喪服を詰め込み家を出た。
なんか、急すぎて訳わからんな。オヤジ、ホンマ何やねん。姉妹そろってハンカチで涙をぬぐいながら、新幹線の窓から薄暗くなった寒空を眺めた。いつかこんな日がくることを心のどこかでは覚悟していた。でもちょっと早すぎやろ。いつか、病気か歳で弱った父を、病室で、みんなでゆっくり看取る、そんな未来をぼんやり想像していた。それまでに結婚とかして孫の顔を見せられるかなとか、美味しいものを食べさせたりして親孝行できるかなとか、ぼんやり思い描いていたライフプランは一気に消え去った。当たり前に父はこれからも、のんびりと、父らしく生き続けるのだろうと何の疑いもなかった。
もし、今日父が亡くなることを知っていたら、その前にもっと、何か、父にしてあげられていたのだろうか。長い反抗期を経て、最近やっと、父と普通におしゃべりしたり、ハグできるようになっていたのに。行き場のない、なんとも言えない感情がじわじわと芽吹いてくる。
父が亡くなってからしばらくは、父が急にいなくなってしまった哀しみや空虚感に、気持ちの整理がつかなかった。父の死から半年が過ぎ、さらに数ヶ月、今年も終わりに近づき、ようやく父の死をちゃんと受け止められるようになった気がする。
そんな中、ふと、久しぶりに観た「メッセージ」に、父のことを想った。
「メッセージ」(監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ、主演:エイミー・アダムス、日本公開2017年)
ある日、世界各地12箇所に突如として謎の巨大宇宙船が現れた。中にはどうやら地球外生命体がいるらしい。彼らの目的はいったい何なのか、敵か味方かも分からない謎の生命体の訪問に、世界は混乱の渦にのまれる。そんな中、物語の主人公である言語学者のルイーズのもとにアメリカ軍大佐のウェバーが訪れ、彼らとコミュニケーションを取るために、彼らの発する未知なる言語を解読してほしいとルイーズに頼む。ルイーズと共にミッションに参加するのは物理学者のイアン。ルイーズとイアンはウェバーが指揮する宿営地に赴き、そこで宇宙船の中にいる2体の地球外生命体「ヘプタポッド」と対面し、彼らが地球に来た目的を探り始める。
ヘプタポッドに一から英語を教え始めたルイーズは、彼らとコミュニケーションを取っていくうちに、彼らの発する音には規則性がない、つまり彼らが「言葉を話さない」ことを知る。言葉を話さない代わりに、彼らは手のようなものから墨を吹き付けるようにして「文字を描く」ことが分かり、ルイーズたちはその文字言語の読解を始める。この頃からルイーズは見覚えのない記憶の断片のようなものを頻繁に見るようになる。
ヘプタポッドの文字を大分理解できるようになったルイーズとイアンは、彼らの文字を使って彼らが地球にきた目的を尋ねる。すると彼らから「人類に武器を与えるために地球に来た」という返答があり、それを知った世界各国では大混乱が起きる。ルイーズは彼らが言いたかったのは「武器」ではなく「道具」である可能性が高い、他の11箇所に現れた宇宙船ではどのようなことが話されているのか、より正確な理解のためにも他国との連携が必要だと主張するが、彼らを脅威とみなした中国人民解放軍は通信を閉じ、独自に地球外生命体との戦争準備を始める。中国の行動を皮切りに、その他の国々も通信を閉ざし、また、宇宙人たちが各国に「武器」を渡して国同士で戦争を起こさせるつもりではないかという憶測も広がり、世界はますます分断されていく。そんな中、イアンの助けもあり、彼らの文字言語をついに習得したルイーズは、彼らの本当の目的を理解し、地球を救うべくある行動をとるのだった。
ここからはネタバレになってしまうが、ヘプタポッドの言語には、時系列がない。劇中に「思考は話す言葉で形成される」「話す言語が物の見方にも影響する」という台詞があるように、ヘプタポッドの言語を理解したルイーズは、彼らの「時は流れるものではない」という概念、つまり、過去、現在、未来という因果的な枠組みに縛られない世界観を取得し、「始まり」と「終わり」の地点を自由に行き来できるようになる。ルイーズが彼らの言語を理解し始めた時に見ていた見覚えのない記憶の断片は、これからやってくる彼女の未来の光景だったのだ。ルイーズは彼らの言語を習得し、未来を知ることが出来るようになったのだ。
もし父が亡くなる未来を知っていたら、私はどうしていただろう。もちろん、出来るだけ会いに行ったり、美味しいものを食べさせてあげたりしていたんじゃないかとは思うけれども、あとはたぶん、それまでとあまり変わらなかったような気もする。むしろ、その未来を知ってしまっていたら、哀しすぎて目を背けてしまっていたかもしれない。そしてそんな自分を嫌いになっていたかもしれない。そう思うと、何の予兆もなく、心筋梗塞でぽっくり逝ってしまったオヤジは、私たちに気を遣わせないよう、空気を読んでくれていたのかもしれない、なんて思えてくる。オヤジ、不器用で、恥ずかしがり屋だったもんな。
父が亡くなってから、これまでの父との思い出を思い出せるだけ、思い出してみた。反抗期が長く、父のことを嫌っていた期間がかなり長いように思っていたけれども、父と同じく私も不器用で、愛しているよと、愛してほしいの表現の仕方が分からなくて、こじれていただけで、何だかんだ、私は父のことが大好きだったんだと気付いた。
ルイーズとイアンは近い未来、夫婦になる。
「人に抱きしめられるのがこんなに心地いいって忘れてた」
「子供を作らないか」
「ええ、そうね」
物語はここで幕を閉じるが、ルイーズはこの時すでに、未来でイアンと破局し、生まれてくる最愛の娘も病で亡くすことを知っているのだ。
ルイーズは自分に言い聞かせる。
「人生の旅がどうなるか、どこに行きつくかが分かっていても、私は喜んで受け入れる。人生のすべての瞬間を大切にするわ」
ルイーズのこの台詞を聞いたとき、胸が熱くなった。ルイーズは己に待ち受ける未来に抗うことなく、それを受け入れ、その一瞬一瞬を心から大切にして生きていくことを決意した。なんて尊いのだろう。
父に訪れる死を知っていたなら、私は父が最期の瞬間を迎えるまで、目を背けることなく、残された父との時間の一瞬一瞬を大切に過ごすことができただろうか。
「もしこの先の人生が見えたら、選択をかえる?」
すべてを悟ったルイーズはイアンに尋ねる。
「自分の気持ちをもっと相手に伝える」
何も気付いていないイアンはそう答える。
父にもっと、いろんな気持ちを素直に伝えられていたなら。そしたら、父に暴言を吐く回数も減っていただろうし、殴り合いの喧嘩をすることもなかっただろうし、もっとハグしてもらえただろうし、いろんな話を恥ずかしがらずにもっと、いっぱい話せただろうな。
考えれば考えるほど、いろんな想いが溢れてくるけれども、不思議と後悔は一つもない。
未来が見えても、見えなくても、目の前にある事実を受け入れ、それをどう捉えるかは自分次第。未来が見えても、見えなくても、目の前の事実から目を背けてしまう人もいるだろうし、一概にそれが悪いことだとも言えない。ただ分かるのは、これまでの経験を経てきた集大成が今の自分で、それは毎日、一瞬一瞬、更新されていく。これまでの人生に後悔はひとつもない。今が私のベストだ。これまでの失敗を全部ひっくるめての、今の自分。もちろんそれに甘んじることなく、日々、ベストな自分を更新していきたいと思う。これから失ってしまうであろう大切なもの、すでに失ってしまった大切なもの、一瞬一瞬、それとどう向き合っていくか。嘆き悲しんだっていい。受け止めて、受け入れて、味わって、消化して。たとえ時間の流れがあっても、なくても、私たちは日々、確実に、新たな自分に生まれ変わっていく。
私は頑固で不器用なオヤジが大好きで、大嫌いで、誇らしくて、恥ずかしくて、亡くなって初めてオヤジの新たな一面をたくさん知って、もっと大好きになって、なんでこんなタイミングで死んでしまうねんって愚痴りながら、でも、それもオヤジらしいなって、何だか笑えてくる。
オヤジがいなくなって、私はまたひとつ、大きくアップデートされたよ。もちろん寂しくなるときもあるけどさ、そんな時は記憶の中のオヤジと話をするよ。昔は分からなかったオヤジのことも、今はちょっとだけ分かるようになったし、全く分からないままのこともあるけどさ、それも全部含めてオヤジなんだろうね。
最後に私の気持ちを素直に伝えさせてね。
愛しているよ。
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.