Canon’s note 4. 『ノーカントリー』
映画がすき。〜My films, my blood 〜

BW_machida

2022/06/17

「あきらめく」

 

世界に渦巻く不条理な悪意、暴力、死。どんな人間にも平等に、それは突然降りかかる。未来に何が起こるかは決して誰にも分からない。

 

圧倒的な暴力描写でその現実を突きつけてくるのが、コーエン兄弟監督「ノーカントリー」だ。

 

Copyright (C) 2007 by Paramount Vantage, a Division of Paramount Pictures and Miramax Film Corp. All Rights Reserved.

「ノーカントリー」( 監督:ジョエル、イーサン・コーエン、主演:トミー・リー・ジョーンズ、日本公開2008年)

 

「ノーカントリー」は1980年代のテキサス、麻薬密売人の残した大金を偶然手に入れたモスと、ギャングからその金の奪還を請け負った殺し屋シガーの追走劇。しかしただの追走劇ではない。この二人を追う老齢の保安官トムの語りと共に物語は進む。

 

昔では到底理解し難い凶悪犯罪の増える現状に憂うトム。その理解しがたい悪の象徴ともいえるシガーが、とにかくヤバい。彼には金もドラッグも通用しない。普通の人間が持つ行動規範が彼にはない。目の前にいる罪なき人間も無表情のままで容赦なく殺す。かと思いきや、ある時にはコイントスで表か裏のどちらが出るかを賭けさせ、当たれば相手を殺さずに立ち去る。彼には彼なりのルールがあるのかもしれないが、あったとしてもそれは私たちには到底理解できない。

 

トムは言う「世界が変えられないのなら、その一部になるしかない」と。世界は不条理の悪と暴力(シガー)に溢れ、突如として私たちに襲い掛かる。私たちはその運命に抗う術もなく、享受するしかないのだと思い知らされる。

 

私には師匠と呼べる人が3人いる。役者になって間もないころに出会い、映画のことを教えてくれた人、文章を書くきっかけを与えてくれた人、今現在、武道を教えてくれている人。3人から学んだことは、それぞれ一つのことを教わっているようでいて、すべての物事に共通する幹の様なものであったと思う。

 

映画の師、荒戸源次郎と出会ったのは私が23歳の頃だった。初めて出会った時の荒戸さんは、髭を生やし、アロハシャツを着て下駄を履いていた。仙人みたいな人だなと思った。映画プロデューサー、監督であった荒戸さんは映画のことはもちろん、哲学や文学、音楽、料理、ギャンブルなど、あらゆることに精通していた。初めは荒戸さんが何を話しているのかほとんど理解できなかった。そのうち、一緒に喫茶店でお茶をしたり、荒戸さんの好きな料理屋で旬のものを食べたり、荒戸さんの手料理をご馳走になる機会が増えた。そうしているうちに段々と、荒戸さんの話していることがぼんやりと分かるようになってきた。それでもやっぱり分からないことだらけで、とんちんかんな回答をしては荒戸さんに怒られた。沈黙を埋めようと紋切り型の質問をすると、荒戸さんはいつも「それ、本当に聞きたくて聞いてるの?」と私を諫めた。

 

今では分かる。ただ無邪気に、自分の聞きたいことを聞き、話したいことを話せばよかったのに、私は「正解」を探るあまりそのピュアな衝動を押し殺し、一挙手一投足、常に相手の顔色を伺ってびくびくしていたのだ。それがまた荒戸さんをイラつかせたのだと思う。荒戸さんは私が部屋に入ってくるだけで不機嫌な態度を見せるようになった。

 

その頃には荒戸さんの前で普通に湯呑を口元に持っていくことさえ出来なくなっていた。頭の中では「今だ、飲め!」「いや、まて、本当に今飲みたいのか?」「今飲むべきだと思ったから飲もうとしたんじゃないのか?」「おい、そう思ってる時点でもうピュアな衝動じゃないじゃないか」「じゃあ今飲むべきではないな、あれ、いつ飲もう…?」と色んな考えが行き交っては衝突し、思考停止の大渋滞…
脳内クラクションの嵐だった。毎日が息苦しくてしょうがなかった。

 

そんな時、「ノーカントリー」を観た私は「これだ」と思った。シガーには行動規範がなく、流れるようにその運命を受け入れているように見える。彼は人を殺すときでさえも自ら決断をしない。自分の邪魔をする人、自分の顔を見た人、目の前にいる人を淡々と殺していく。ふとコインを取り出して彼は言う、「表か裏か賭けろ」と。このコインは何十年も前に作られ、色んな所を旅して今ここに流れ着いた。その運命のコインの表裏を当てるも外すも、その人の運命だと。

 

思考の渋滞で身動きの取れなくなっていた私は、シガーのコイントスのように、常にサイコロを持ち歩いて、何か決断しなければならないことがあれば、それを振って自らの行動を決めることにした。偶数が出ればやる、奇数が出ればやらない。そうなる運命ならそれに従おうと思った。そうやって自分で一切考えないようにした。

 

今思えば、自分の何気ない日常の行動を自分で決断できないほどにおかしくなっていたんだと思う。けれど、この方法を見つけてから心が大分軽くなった。良い意味でいろんなことを諦められるようになった。サイコロを振って、結果的にまずい行動を取ったとしても、そうなる運命だったんだからと後悔の念にさいなまれなくなった。 

 

しばらくそうしているうちに、サイコロなしでも自分で決断し、行動できるようになった。諦め、運命を受け入れることに慣れた私は、自分の下した決断がまずくても、しょうがないと思えるようになった。そのとき自分で取った行動の結果が良くなかったのなら、次から気を付けたらいい。びくびく正解を探して、違和感を感じながらも行動し、結果失敗し、ああだこうだ後で気に病むくらいなら、最初から自分のやりたいようにやって、まずけりゃまた後から修正すればいいのだ。そう思えるようになってから、荒戸さんの前でも普通に振る舞えるようになった。

 

荒戸さんはよく言った。
「考えてその通りになったこと、ある?」

 

未来のことなんて誰にも分からないし、自分の思い描いた通りの未来は決してやってこない。この映画のテーマとは少しずれるが、この映画をきっかけに、私は色んなことを諦めることができた。諦めると聞くとネガティブに捉えられるかもしれないが、諦めることとは、運命を受け入れることであり、運命を受け入れて初めて、人生は煌めきだすのだと私は思う。私はこれを「あきらめく」と呼んでいる。

 

この映画には一人だけ、シガーに「決めるのはあなた」という人物がいる。
そのときのシガーの表情が忘れられない。そして物語の最後に、シガーですらも「世界の一部」であるのだと私たちは思い知らされる。

 

何度観てもとてつもない余韻をもたらしてくれる映画だ。

 

畳部屋から眺める、セミの抜け殻、蒸し暑い夏の午後。

 

『ノーカントリー』
発売元: NBCユニバーサル・エンターテイメント
価格:Blu-ray: 2,075 円 (税込)  /  DVD: 1,572 円 (税込)

 

※2022年6月現在の情報です。

縄田カノン『映画がすき。』

縄田カノン

Canon Nawata 1988年大阪府枚方市生まれ。17歳の頃にモデルを始め、立教大学経営学部国際経営学科卒業後、役者へと転身。2012年に初舞台『銀河鉄道の夜』にてカムパネルラを演じる。その後、映画監督、プロデューサーである荒戸源次郎と出会い、2014年、新国立劇場にて荒戸源次郎演出『安部公房の冒険』でヒロインを務める。2017年、荒井晴彦の目に留まり、荒井晴彦原案、荒井美早脚本、斎藤久志監督『空の瞳とカタツムリ』の主演に抜擢される。2019年、『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』にてニコラス・ケイジと共演、ハリウッドデビューを果たす。2021年には香港にてマイク・フィギス監督『マザー・タン』に出演するなど、ボーダレスに活動している。高倉英二に師事し、古武道の稽古にも日々励んでいる。趣味は映画鑑賞、お酒、読書。特に好きな小説家は夏目漱石、三島由紀夫、吉村萬壱。内澤旬子著『世界屠畜紀行』を自身のバイブルとしている。
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