ヤクルト二軍監督・高津臣吾「僕が野村克也監督から学んだこと」
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二軍監督の仕事をしていて、僕は、野村克也監督の影響を多分に受けているのは間違いないと改めて感じた。

 

日本・アメリカ・韓国・台湾でプレーしたが、戦略・戦術的な発想という意味では、「野村野球」が根っこにある。ヤクルトのスタッフの中にも、野村イズムに触れた指導者が多いので、話が通じるのが早いし、他球団で経験を積んだ指導者と話すと、考え方の違いが際立って面白い。

 

こうして、監督の考え方が次の世代へと受け継がれていくのだと思う。

 

僕は「野村野球」がすごく好きだ。
なぜなら、野村監督は野球の奥深さをとことん追求していたからである。「そこまで考えなくても、ええんちゃう?」と思うようなことも中にはあったが、あらゆる要素を考えて野球をするのが、僕には楽しかった。

 

野村監督の質問には、たとえばこんなものがあった。

 

「野球のカウントには何種類あるか、知っとるか?」

 

これは意外に、気づかない選手が多い。指名された選手が少しでも考える素振りを見せると、
「そんなのも分からないで野球をやっとるのか。プロも甘くなったなあ」
とかボヤキながら、講義を進める。

 

野球ファンならご存知だと思うが、野球のカウントには0―0から3―2まで12種類ある。
そこで野村監督は、

 

「カウント0―0。投手と打者、どっちが有利だと思う? 一茂?」
などと、僕の3年先輩にあたる長嶋一茂さんを指名したりしていた。僕などは、「まだ投げてないっちゅうの」とツッコミを入れそうになっていた。

 

いまでも印象に残っているのは、
「フルカウントになった時、投手と打者、どっちが有利なのか考えてみよう」
という宿題が出された時だ。

 

一般的には、フルカウントで走者がいればゴーできるし、打者が有利かと思いがちだが、そうとばかりも言い切れない――というのが野村監督の考え方だった。

 

キャンプの夜、1時間以上、ひとつのカウントについて監督がいろいろと解説していく。僕は、どのカウントについても新鮮な気持ちで聞いていた。

 

シーズンに入っても、ミーティングは続いた。野村野球の真髄は、実際の試合に入るまでの準備にある。とにかく、カウントの研究をはじめ、勉強することが驚くほど多かった。予習・復習の宿題が出て、野球で起こり得る様々なシチュエーションについて考えを巡らせる。

 

野村監督は、ある意味で「世界一」だった。他球団のこと、他の監督のことは知らないけれど、試合開始前のミーティングを1時間から1時間半かけて行い、相手の打者・投手を丸裸にするなんてことは、世界中のどこでも行われていない。1990年代はビデオが普及した時代だから、映像を使いながら、監督が解説するだけでなく、投手・捕手陣がみんなであれやこれやとプランを考えていく。

 

大学からプロに入って、こんなことまで考えている人がいるのかと本当に驚いた。野村監督は、野球のあらゆることを突き詰めて考えないと気が済まない人だったのだと思う。その意味で、野球をとことん愛した人だった。

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