akane
2019/03/06
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2019/03/06
恒星の研究は19世紀後半に写真乾板(ガラス板に乳剤を一様に貼付したもの)が発明され、それまでの眼視観測に取って代わられるようになりました。そして、現在ではCCDカメラなどの半導体を利用した撮像素子が利用されています。CCDの感度は写真乾板の感度に比べて約40 倍高いので、さらに精度良い観測ができるようになりました。
しかし、眼視観測から写真観測になった効果は大きなものでした。太陽系の近傍の恒星ですが、系統的な観測ができるようになったからです。その成果として、1910年には恒星の分類図が提案されることになりました。
提案したのは2人。デンマークの天文学者アイナー・ヘルツシュプルング(1873-1967)と、米国の天文学者ヘンリー・ノリス・ラッセル(1877-1957)です。独立提案なので、2人の名前にちなんでヘルツシュプルング・ラッセル図、あるいは略してHR図と呼ばれています。
HR図は基本的には恒星の光度と表面温度の関係です。光度として絶対等級、また、表面温度にはスペクトル型が用いられることもあります。念のため、図では両方の表記を示してあります。
HR図に恒星のデータをプロットすると、高温で明るい恒星(図中で左上)から低温で暗い恒星(図中で右下)まで、一つの顕著な系列が見えてきます。そこで、この系列に属する恒星は主系列星と呼ばれるようになりました。また、図の右上には温度は低いが光度は明るい赤色巨星や赤色超巨星があります。その一方で、左下には温度は高いのに、異常に暗い恒星があることがわかります。白色矮星と呼ばれている恒星です。
HR図に見られる白色矮星は密度が高く、サイズの小さな恒星ですが、恒星起源のブラックホールを考えるヒントになった重要な恒星です。
そこで、まずは白色矮星に焦点を当てながら話を進めていくことにしましょう。
実のところ、白色矮星の研究こそが、中性子星、そしてブラックホールの研究へと導いてくれたのです。
19世紀、恒星のカタログ作りが盛んになり、位置測定もある程度精確に行われるようになりました。位置は確認のため、何回か測定されますが、中に挙動不審な恒星がありました。その代表格はおおいぬ座のα星、シリウスです。見かけの明るさはマイナス1等級であり、太陽を除けば、全天で一番明るく見える恒星です。
ドイツの天文学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル(1784-1846)は、シリウスの位置がふらついていることを見つけたのです。もし連星系であれば、パートナーの恒星と軌道運動をするので、見かけの位置のふらつきが出ます。ベッセルはその兆候をシリウスに見たのです。シリウスの運動に影響を与えるのですから、ある程度の質量を持った恒星がパートナーであることが予想されます。ところが、シリウスの近くにはそのような恒星は見当たりません。一体どうなっているのか? ベッセルは悩みました。
転機が訪れたのは1862年のことでした。米国のアルヴァン・クラーク(1804-1887)はミシシッピー大学のための望遠鏡を製作していました。口径47センチメートルの屈折望遠鏡です。当時としては、世界最大の屈折望遠鏡でした。ちなみにクラークの望遠鏡製作工場では、屈折望遠鏡としては、現在でも世界最大のヤーキス天文台の口径102センチメートルの屈折望遠鏡の製作も行いました。
出来上がった口径47センチメートルの望遠鏡のテストをしていた息子のアルヴァン・グラハム・クラーク(1832-1897)は、シリウスのすぐそばに暗い恒星が見えることに気がつきました。これがシリウスの伴星、シリウスBの発見に繋がったのです。見かけの等級は約8・5等なので、本来なら小さな望遠鏡があれば簡単に見えるはずです。しかし、明るいシリウス本体の光に邪魔されて、なかなか見えなかったのです。
シリウスのふらつきの原因はわかりました。シリウスBと連星を成していて、軌道運動をしているためです。そこまではよいのですが、問題はシリウスBです。質量はシリウスの軌道をふらつかせるほど重いのに、あまりにも暗いからです。
HR図を見るとわかるように、ほとんどの恒星は主系列星です。主系列星の基本的な性質としては、暗い恒星は、表面温度が低くなるため、より赤く観測されます。シリウスBは暗い恒星なので、赤い恒星だと最初は思われました。しかし、調べて見ると、色は赤ではなく、白なのです。
1915年、米国の天文学者ウォルター・アダムス(1876-1956)はシリウスBのスペクトル観測に成功しました。その結果わかったことは、表面温度は約2万5000Kもあることでした。つまり、色の白い矮星、白色矮星というカテゴリーに属する恒星であることがわかったのです。
ただし、シリウスBは最初に発見された白色矮星ではありません。エリダヌス座40番星Bに次ぐ、2個目の白色矮星となったのです。エリダヌス座40番星が三重星であることは、1783年に、ドイツ生まれの英国の天文学者ウィリアム・ハーシェル(1738-1822)によって発見されていました。その後の観測で、エリダヌス座40番星Bが色の白い恒星(スペクトル型はA型)であることがわかり、白色矮星であることが1910年には認定されていたのです。
なお、白色矮星という名前は、オランダの天文学者ウィレム・ヤコブ・ルイテン(1899 – 1994)によって提案されたものです。
しかし、白色矮星は謎の恒星でした。
暗いのに表面温度が高い。暗いということは、恒星のサイズは小さいことを意味します。一方、表面温度が高いことは、単位面積当たりに放射される光は多いことを意味します。これが実現するのは、恒星の密度が非常に高い場合だけです。
では、どのぐらい密度が高いのでしょう?
この答えを出したのは、エストニアの天文学者エルンスト・エピック(1893-1985)と英国のアーサー・エディントンでした。
彼らが出した答えは、太陽の平均密度の2万5000倍という密度でした。いみじくもエディントンは語りました。
「マッチ箱で1トンの重さになる」
(つづく)
※
以上、『宇宙はなぜブラックホールを造ったのか』(谷口義明著、光文社新書)から抜粋し、一部改変してお届けしました。
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