「バカヤロー!」の用法の変遷をたどる
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「馬鹿野郎」ということばはずいぶん昔からあり、時代によって様々な場面で使われてきたという。『日本語は悪態・罵倒語が面白い』(光文社知恵の森文庫)著者の長野伸江さんに詳しいお話を伺った。

 

(※この記事は『日本語は悪態・罵倒語が面白い』を抜粋し再編集したものです)

 

■政局に影響を与えた可能性もある「バカヤロー」

 

関東は「バカ」、関西は「アホ」の文化圏と言いますが、北関東には馬鹿野郎の有名人がいます。明治時代の栃木県の代議士で、足尾銅山の鉱毒問題を帝国議会で告発した田中正造です。田中正造は鉱毒問題に冷淡な大臣連に「この馬鹿野郎」と罵り、議会の品位を落としたとして罰金を科せられています(彼は議会で馬鹿野郎を用いた議員の元祖ともいわれます)。

 

その後、国会で馬鹿野郎発言をする議員は増え、第二次大戦後の昭和二十八(一九五三)年には吉田茂首相の「バカヤロー」をきっかけに衆議院は解散にいたっています。

 

この「バカヤロー解散」で吉田茂にかみついた社会党の西村栄一は、「アホ」文化圏の奈良県出身でした。吉田茂は「バカ」文化圏の東京に生まれ、横浜の貿易商の養子として神奈川で育っています。ふたりの出身地が政局に影響を与えた可能性はあります。

 

■男同士の友愛を示す馬鹿野郎

 

このように相手を非難することばである「馬鹿野郎」が、若い男性同士のあいさつがわりに用いられた時代もありました。

 

大正八年の『東京朝日新聞』には、「第一高等学校(現・東京大学教養学部)の水泳部の練習を記者が見学に行った際、最寄り駅で迎えてくれた学生たちが、記者にいきなり『馬鹿野郎!』と言ってきた」という記事があります。学生でなくても、気に入った人に馬鹿野郎と言うことは、男同士では十分ありえることでした。

 

また文豪・三島由紀夫の文章には次のようなものがあります。

 

私なども、石川淳先生と初対面の席で、三十分ほど一緒にお酒を呑んでいるあいだ、三十回も、
「このバカ野郎。三島のバカ野郎」
と呼ばれましたが、これが愛情ある呼びかけであることはすぐわかりました。
(三島由紀夫『第一の性』)

 

三島はこの文章のすぐ前で、男の友人同士は「お互いにデリカシイを働かしているので、ひどい悪口を言い合いながら、お互いの禁忌には触れぬように気を使っている」と述べています。さらにこの後に、子どもと女性は相手が気にしていることを口にすると指摘し、「デリカシイの世界/思いやりの世界/見て見ぬふりの世界」は「男の世界にしかありません」とも記しています。

 

■男女の間にも馬鹿野郎

 

男性が女性に対して馬鹿野郎を言うことも近代に始まりました。そもそも「野郎」は、江戸時代前期は若い男性にいったことばです。しだいに若くない男にもいうようになり、さらには女性へと対象が広がったのでした。

 

国民的人気映画『男はつらいよ』シリーズには、次のようなシーンがあります。
時は高度経済成長期、都市に人口が集中し江戸ことばで話す人は少数派になっていくなかでの、新鮮にも聞こえるやり取りです。

 

リリー 「迎えに来てくれたの?」
寅   「バカヤロー、散歩に来たのよ」
(山田洋次他『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』)

 

昭和五十(一九七五)年公開の作品です。浅丘ルリ子演じるリリーのために駅まで傘を持って来た寅次郎ですが、自分のやさしさが照れくさく、思わず「バカヤロー」と言ってしまいます。女性的な「やさしさ」を歌う流行歌が巷にあふれていた時代でしたが、寅次郎に共感を覚える人は少なくありませんでした。

 

■現代にも続く奇祭・悪態祭

 

インターネットが発達した現代では、身近に罵倒しあえる人間関係はなく、ネット上で悪態祭を繰り広げている人もいます。他方で、大勢が一堂に会しリアルに悪口を言い合う「悪態祭」を古来より続けている地方もあります(茨城県笠間市・愛宕神社など)。

 

悪態祭の起源は諸説あり、「怨霊・疫病を退治するため」とも「住民の日頃の不平不満を役人が聞くため」ともいわれています。

 

リアルな悪態祭は進化し、近年茨城の悪態祭では、祭り最後に「バカヤロー三唱」が行われます。万歳三唱のバカヤロー版で、境内に集まった人々が「バカヤロー、バカヤロー、バカヤロー」と声を合わせるのです。実際にやってみるとあまりの馬鹿馬鹿しさに、誰もが思わず笑ってしまいます。

 

日本人は「悪」であるはずの悪口が言い方によっては親しさや愛情表現にもなる、という共通認識を古くから持っていました。

 

挨拶にも愛情表現にもなる「馬鹿野郎」を皆で唱えて苦境を笑い飛ばす賢さも、古来より受け継がれた知恵の一つと言えましょう。

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日本語は悪態・罵倒語が面白い

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長野伸江(ながののぶえ)

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