2018/06/13
望月優大 ライター
『プーチンのユートピア』 慶應義塾大学出版会
ピーター・ポマランツェフ/著 池田年穂/訳
Nothing is True and Everything is Possible. 真実など一つもなく、あらゆることが可能である。本書のタイトル(原題)だ。
著者のピーター・ポマランツェフはソ連時代のキエフ(現ウクライナの首都)にルーツを持つロシア系イギリス人。本書では彼がロシアに渡ってテレビのディレクターとして働いた日々の出来事が綴られている。
本書は昨年話題になった歴史家ティモシー・スナイダーによる『暴政』で紹介されていたことから、今回かの本と同じ訳者(池田年穂氏)によって日本語に翻訳される運びとなったそうだ(ちなみに、池田氏が翻訳する本はどれもこれも面白い)。
本書では、「本当にこんな人物がいるのだろうか」と思うほど個性的な幾人ものキャラクターとの出会いの連続を通じて、背筋が寒くなるようなロシアの現状が描写されている。
例えばモスクワの大金持ちの男のもとに夜な夜な集まる地方出身の女たち、地方のギャングから映画監督に転身した男、謎の理由で急に逮捕された女社長、モスクワの古い建物を守ろうとする男、生まれた田舎町でスカウトされたのちとある事情でニューヨークの部屋から飛び降りるにいたったトップモデルの女、などなど(彼女の自殺の謎を追う部分が本当に恐ろしいのでぜひ本書を手に取って読んでみてほしい)。
本書冒頭に出てくるこの言葉はとても象徴的だ。
「テレビこそ、この国を一つにまとめ、支配し、団結させることができる唯一の権力だ。」
誰もが知っているように、ロシアは世界で最も大きな領土をもつ国家であり、当然様々な民族をそのうちに含む多民族国家である。さらに、2000年代以降、つまりプーチン時代が始まって以降に発生した世界的な石油価格の高騰などにより、ロシアでは富める者と貧しい者の格差、モスクワと地方との格差が日増しに大きくなっていた。
領土も巨大、格差も巨大、民族も宗教も多様なこの国をどう統治するか。しかも、ロシアの前身であったソ連が統合の原理としてきた共産主義というイデオロギーに頼ることはもうできない。
これが、ソ連崩壊後のロシアを統治してきた人々、具体的にはエリツィンとプーチン(それからメドヴェージェフ)が直面し、いまも直面し続けている問題である。
先ほどの言葉は、その答えが「テレビ」にあると言うことを示唆している。政府はテレビ局をコントロールし、ディレクターたちはあらかじめそのコントロールを予期して番組を制作する。
意外にも、ある程度「攻めた」コンテンツをつくることは許容されている。しかし、線引きを間違えることは許されない。著者が実際にロシアのテレビ局で「リアリティショー」の制作に深く関わっていたからこそ、その奇妙な感覚が説得力を伴って迫ってくる。
しかし、それはロシアの人々がテレビを通じたプロパガンダに「騙されている」というシンプルな話ではない。みんな嘘に気づいている。あまりにも堂々と嘘が突き通されていることで、人々はただその嘘といつの間にか共生する生き方を覚えてしまっただけなのだ。
「あんまりしょっちゅう嘘を聞かされていると、しばらく経つと、ただ頷くようになってしまう。なぜって、こんなにたくさん、こんなに図々しく嘘をつくということが理解しがたいからだ。」
この言葉を読んで、私は戦慄した。
ロシアと日本はどの程度違うのか。その距離をうまく測る力すら、私たちは少しずつ失い始めているのかもしれない。
Nothing is True and Everything is Possible. 真実など一つもなく、あらゆることが可能である。
『プーチンのユートピア』 慶應義塾大学出版会
ピーター・ポマランツェフ/著 池田年穂/訳