2018/06/12
内田るん 詩人・イベントオーガナイザー
『さらば愛しき女よ』ハヤカワ・ミステリ文庫
レイモンド・チャンドラー/著 清水俊二/訳
そもそも私は「小説」というジャンルに懐疑的でした。純文学とか名作と呼ばれてるものを若いうちに読んでおけ―基礎教養だ―みたいなプレッシャーかけてくる人がたまにいるじゃないですか。
まあ、有難いんですけど、「それ本気で言ってる?『寄生獣』や『日出処天子』より面白い?」(これは私が思う日本現代漫画史の金字塔2作品なんですが)って気もしちゃうんですよね。漫画やゲームで、同時代のうちにこそ読むべき作品や時代を超えるであろう名作が日々生まれて追いつけない中で、あえて100年前のカルチャーを追っかけるのって単なる教養主義じゃないの? みたいな。
でも個人的な理由がいくつかあって、近年重い腰を上げて純文をちょこちょこ読みだしたんですよ。漱石だの、デュラスだの。そしたら普通に面白いんですよね……。現代の「売れてる小説」って話の筋が面白いってのが多いじゃないですか。登場人物がキャラ立ってて、予想できない展開で、ドラマや映画みたいな、てか映画化されがち。でも正直「映画にしても内容が同じなら、それは脚本なんでは?」と……。もちろん戯曲も文学だけど、あえて「文字(だけの表現)」にする理由が薄れてきている気がしてて。それも私が「今の時代に小説を読む」ってことに必然性を持てなかった理由。
でも違った。よくわかりました。純文は文字だけじゃなきゃダメですね。音楽においてメロディの造りよりも「音」そのものが気持ちよく響いてるかどうかと同じく、文字は内容を伝える道具だけど、文章そのものが発する美しさや旋律がある。よく言われる「作家の感性に触れる」ってなんだよ!? って思ってたけど、ほんとにそういうことで、読みながら「こいつの頭ん中ヤベーな。なんだこの独特のグルーヴ、持ってかれる~」って楽しむものだった(よく考えたら良い漫画もまったく同じですね。失礼しました)。
そんなわけで今回は前回とはうってかわって超メジャー、探偵小説のクラシック。チャンドラーです。フィリップ・マーロウ、ハードボイルドの代名詞……のイメージだったのに、私は今回読んで度肝を抜かれましたよ!なんと(ハヤカワ・ミステリ文庫なのに)ミステリーじゃない! 張り巡らされる伏線、別になにも意味ない! 主人公が明晰な頭脳で事件の鍵を読み解くとか一切ない! 不意に事件の秘密を知る人を訪ねながら「なんで俺はこんなことを?」とか言ってて、いや知らんがな! あとキザでかっこいいモテモテ野郎というイメージだったフィリップ・マーロウ、ただのボンヤリした酒飲みで、めちゃローなテンションで、そんなかっこよくない!
これだけで冒頭かなり裏切られて「ええ~マジで~」ってウケちゃった。しかし本当に何も起きない。いや起きてるけど、冒頭は主人公が殺人事件に立ち会って始まるし。
でも別に主人公が事件に首をつっこむ理由がない。仕事ないなら自分で仕事を作るスタイルってことなんだと思うけど……特に進展しないまま、文字をツラツラと目で追っていく。なぜかあまり退屈しない。主人公の独り語りで進むリアルタイムの日記のような淡々としたスピード感が、活字慣れしてない私にも親しみやすく、いつのまにかページが進んでいく。本筋に必要ない(ほとんどそうなんだけど)、ただ通過していく風景もいちいち描写される。でもそれが筆者による「神の視点」ではなく、主人公の視点で、フィリップ・マーロウが見て感じた印象がただただ綴られる。
そのうち、あるくだりで突然、真っ暗な彼の視界に引きずり込まれた。一本道を前後に進むしかなく、出口があるようで、ない。すごい既視感。なんだっけコレ。大きな迷路の中にいるような、自由なんだけど閉じ込められてて、選択肢はいくつか見つけられるが、どれが正解なのかは最後までわからないかんじ。RPGゲームだ! 攻略法を知らないまま1人でやっているRPGのかんじによく似ている。適当に出会った人に無遠慮に質問して、手がかりが得られたり、追い返されたり。マップ上を自由に動けるけど、ヒントを得るまではウロウロするしかなくて、主人公1人だけの視点で進むかんじも。なんということだ! 1940年代の小説が現代のゲームカルチャーにまで連綿と影響を与え続けているのか? RPG(調べたら私が言いたいのは正確には「アドベンチャーゲーム」というジャンルらしい)が生まれたのもアメリカだし、最初に作られたの70年代だから大して時間も経ってないか。
あと、デヴィッド・リンチの『インランド・エンパイア』という映画のシーンも何度かフラッシュバックしたので、TSUTAYAで代表作っぽい『マルホランド・ドライブ』と『ロスト・ハイウェイ』を借りて観た。意味ありげなシーンが延々と続き、いつまでも答えにたどり着く気配がしないかんじ、似てるな。うん。てかリンチの映画って今までピンとこなかったけど、チャンドラー読んだあとだとわかりやすい。わからなくていいというかんじが。
リンチがチャンドラーの影響を受けたとはwikiに書いてなかったけど、20世紀半ばから多大な影響を与えた作家なのだから、1946年生まれのリンチがその空気に触れなかったはずはないだろう(80年代生まれの私が庵野秀明の影響から免れない、みたいに)。
もしかしたら、これがアメリカ人の心なのかも知れない(チャンドラーはアメリカ生まれイギリス育ちだけど転職でアメリカに戻った)。すべての国、街、その土地によって、住む人々の持つ「世界」のイメージは異なる。幸福のイメージも、恐怖のイメージも。
まだ若い国、夢と未来とパワーにあふれ世界を牽引していくアメリカに住む人々の心の奥の陰り。真夜中の砂漠のハイウェイで、どっちに行けばいいかわからず、車を停めて、立ちすくむような、青年の姿がぼんやり浮かんだ。
『さらば愛しき女よ』ハヤカワ・ミステリ文庫
レイモンド・チャンドラー/著 清水俊二/訳