ryomiyagi
2021/07/28
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2021/07/28
総務省統計局によると、日本人男性の生涯未婚率は2000年に10%を突破し、その後年々上昇し、2015年には男性で約23%、女性で約14%にもなるという結果が出ている。加えて、1970年には9%程度だった離婚率も、現在では約35%に迫ろうとしている。
それでなくとも激減した成婚者が、たとえ結婚しても3組に1組が離婚する。これが現代日本の結婚事情である。
これではもう、孤独は高齢者特有のものでもなければ、引きこもる若者のものでもなく、普通に社会生活を営む成人男女が心構えしておくべき問題に違いない。
そして世界では、今や「孤独」は立派な社会問題であり、政府や地域社会が真剣に取り組まなければならない一大事項と化しているようだ。
コーヒーチェーンが設けた「おしゃべりテーブル」(中略)
仕組みはシンプルだ。店内のテーブルの一つを客同士が話をする専用場所と決める。話はわずか5分間でもいいし、会話が弾んで1時間になってもかまわない。互いに顔を合わせて会話することがポイントで、「固い友情に発展させなくては」と肩に力を入れる必要はない。気楽なおしゃべりで十分だ。
この「おしゃべりテーブル」を設けたコーヒーチェーンとは、イギリスの最大手のコーヒーチェーンであるコスタコーヒー(約2500店舗)。日本で言えば、マクドナルド(約2800店舗)といったところだろう。
おしゃべりテーブルは、誰でも参加できる。一人でもいいし、2人でもいい。友人と連れ立ってもかまわない。介護者なら、介護している人と一緒に来てほしい。お母さんと赤ちゃんでもいいし、むろんお父さんと赤ちゃん、おばあちゃんと赤ちゃんといった組み合わせも歓迎だ。老若男女すべてOKである。
こんなテーブルが一つ町内のカフェにあれば、他人と会話する機会の少ない現代人にとって、素敵な出会いとコミュニケーションの場になるに違いない。
さらにイギリスでは、コミュニケーション以前の自己発信をさせてくれる場に対する理解も相当に進んでいるらしい。そんな一つが、「オープンマイク」だ。
金曜の夜の図書館で「オープンマイク」が開かれるという。館内のポスターでは、午後7時半に開始するとある。「オープンマイク」ってなんだろう。さっそく足を運んだ。(中略)
次はイギリス人夫婦がマイクの前に立った。夫は、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」を大きな声で歌いだした。(中略)
そうか、「オープン・マイク」とは、イギリス版カラオケなのかと納得していたら、20歳前後の男性がマイクの前に立った。少し頬を赤くした彼はふと顔を上げると、自作の詩を読み始めた。それは、グレンフェル・タワーで亡くした母親をしのぶ詩だった。2017年にロンドン西部にある高層住宅グレンフェル・タワーで発生した大火事で、死者は70人を数えた。これは、イギリスでは第二次世界大戦後、最悪の死者数を出した火災だった。(中略)
彼が読み終わると、会場はシーンとなった。(中略)
その後大きな拍手が沸き起こった。「ブラボー」の声も交じる。(中略)
私は、彼はもう寂しくないだろうと思った。
世界で最も「孤立・孤独」しているといわれる日本人は、同時に「最も孤独に強い国民」とも呼ばれているらしい。一局集中の都市型経済社会は、若者の田舎離れを助長し、サラリーマンの単身赴任を推進してきた挙句、核家族化は「お一人さま」を流行語とするほどになってしまった。
街には「一人呑み」はもちろんのこと、「一人焼肉」に行列ができている。
職場では、上司や同僚と必要な会話をするのだろうが、昼は一人でランチをし、仕事帰りは「一人呑み」か、コンビニで弁当を買って帰ってTVを見ながら食事する。さらに、社会人としてスキルアップするために開いたビジネス書には、より柔軟で高度なコミュニケーション能力の必要性を説きつつ、「孤独を楽しむ」とか「孤独のススメ」などの文言が並んでいる。
総じて、そんな日本人の姿が「世界で最も孤独に強い国民」として、外国人記者の目には映るのかもしれない。
さらにイギリスでは、近年「ウォーキング・フットボール」というスポーツが急激にファンを増やしているらしい。
イギリスには、50歳以上の人たちによる「ウォーキング・フットボール」クラブが1000ほどもあり、その数は順調に増加している。子どもからお年寄りまで障害の有無など関係なく楽しめ、屋内外でプレイできる。(中略)
一般のフットボールとの違いは、走ってはいけないことだ。もし走れば、敵にフリーキックを与える。スライドタックルもNG。けがを防ぐためでもあるし、体が不自由な選手が不利になるのを防ぐためでもある。このスポーツは心臓など体に負担がかからない。また参加することによって、アクティブなライフスタイルを続けることができる。
日本ならば、ゲートボールに近いかもしれない。今は無き義父も、生前はずいぶんとゲートボールに興じていた。幾つもの大会で表彰台に上った義父は、プレイヤーとしてのみならず監督・コーチとしても多くの仲間たちに囲まれ、とても楽しそうにしていたのを覚えている。そう、確かに義父は孤独では無かった。
近頃日本にも、この「ウォーキング・フットボール」が輸入されているらしい。
おしゃべりや作業ではあきたらず、よりアクティブな活動を求める方にはおすすめかもしれない。
「頑固」「偏屈」「猜疑心」「悲観的」などなど、およそ孤独のもたらす精神的な作用に、ポジティブなものを見つけ出すのは困難を極める。
それでなくとも、新型コロナウィルスによって分断されがちな世の中にあって、これ以上に孤独を放置していては、明日の日本は現在よりも良くなるようにはどうしても思えない。「世界で最も孤独に強い国民」などとうそぶいている場合ではないのかもしれない。
『孤独は社会問題』(光文社新書)は、そんな風に、自分自身の近い将来に思いを馳せる一冊だった。
文/森健次
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