緊急入院、手術の経験も!“ひふみん”が語る理想的なお見舞い方法とは?
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将棋界のレジェンド・加藤一二三九段のエッセイ『一二三の玉手箱』(光文社知恵の森文庫)より、心に響く言葉の数々をご紹介します。

 

シンプルで深い“ひふみん”の言葉には、人生を愉しむヒントが満載! 

 

今回は、自身の入院経験を踏まえた「理想的なお見舞い」についてです。

 

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病について

 

私は2017年に胆石性急性胆のう炎と診断され、緊急入院で手術を受けた。

 

名医に恵まれたと思っている。いまや痛くも痒くもない。

 

私が病気になったことはNHKのニュースでも流れたが、私の耳に入ってきた言葉は「加藤さんはナベプロに入って、ナベプロに働かされすぎているから病気になった」「過労になった」というものだ。

 

多くの人がそうつぶやいたらしい。

 

それらに対し、私は機会をとらえては反論している。

 

例えば、遊んでいても病気にはなる、仕事をしていても病気になる。それにこういっては何だが、過労になるほど、人の3倍も働いていない。もっと仕事が欲しいくらいだ。

 

病人に向かってあれこれいうな、ということ

 

つまり病気になった人にあれこれというな、ということだ。あれこれ言ってももう病気になっている人なのだから。

 

人それぞれに、お酒を飲みすぎたなどの事情はあるだろう。でもそれを言うな、ということだ。

 

人というのはとかく、心がけていないと問題のある心の動きをしがちである。そのことを理解していたい。

 

私も病気になったが、人は病気になる。

 

病気には好き好んでならない。誰にでも起こりうる。

 

大切なのは素朴な見舞いの気持ち

 

病気になった時には素朴な見舞いの気持ちがあるのが良い。

 

旧約聖書にあるが「ヨブの友人」という言葉がある。欧州ではよく知られた言葉だ。

 

ヨブという立派な人が病気になった時、友人は「おまえが病気になったのは神の罰だ」という。神は友人の言葉を極めて非難される。病気になったのは神の罰だ、といったことが神から非難されたのだ。この友人の態度は単純に見舞いとして冷たいと言えるだろう。

 

見舞いに来たら慰めの言葉をかけるものだろうに、あろうことか「神の罰」とは言葉が厳しい。非難されても仕方のない態度だ。

 

私もヨブの友人ほどではないが、病を得て「自業自得」「理由があったから病気になったのも当然」と言われる経験をし、こういった態度はよくないとはっきり分かった。

 

病気になったら見舞いなさいとイエスはおっしゃる。

 

そうすれば自分も救われるし、相手の病人も救われる。

 

※この記事は『一二三の玉手箱』(加藤一二三・著)より、一部を抜粋・要約して作成しています。

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一二三の玉手箱

一二三の玉手箱自分らしく生きる

加藤一二三(かとう ひふみ)

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