2018/12/26
高井浩章 経済記者
『うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』文藝春秋
先崎学/著
いわゆる「羽生世代」のベテラン棋士にして、軽妙なエッセイでも知られる先崎学氏のうつ病の闘病日記だ。エッセイストとしての先崎学ファン(私自身がそうだ)はもちろんのこと、「将棋」「うつ病」「闘病」といったキーワードがひっかかる人なら、読んで損はない。棋界の人間模様だけでも読み物として十分興味深く、将棋ファンなら間違いなく「買い」だろう。
闘病記としてみても、全編を通して筆致にリアリティがあり、貴重なノンフィクションになっている。発症の経緯から病状の深刻化の描写、長期休養という正しい対処を選ぶまでの葛藤、「将棋の力」で回復に向かうという棋士ならではのドラマチックな過程まで、丁寧に綴られる。
うつ病については、「甘え」や「弱さ」のせいといった誤解が依然、根強い。この誤解を解くという点でも本書は優れている。発症時点では、著者=患者自身のうつ病の脅威への認識が甘い。精神科医の兄や夫人の助言を受け入れ、自身の誤解を解いていくプロセスに沿って、読者もうつ病患者から見える世界観や現実を疑似体験できる。
昨今、「自殺は自己責任」などと軽々しく言う風潮があるが、本作の「つまるところ、うつ病とは死にたがる病気である。まさにその通りであった」という実体験者の言葉の前では、自己責任論の薄っぺらさは明白だ。
裏読み、という訳ではないが、私自身は「知性とは何だろうか」という問題を意識しながら読み進められたところに、不謹慎な物言いかもしれないが、「面白さ」があった。症状の悪化とともに先崎氏は信じがたいレベルまで棋力を失い、そこから徐々に回復する。その姿が「逆アルジャーノン」とでも呼びたい興味深いストーリーになっているのだ。
ご存知の通り、ダニエル・キースの「アルジャーノンに花束を」は実験で知性を一時的にブーストアップされた青年が、再び知性を失っていく過程を描いたベストセラーだ。
トップ棋士の著者が、最悪期には手数の少ないごく簡単な詰将棋すら解けなくなる。その事実に愕然とし、「再びプロとして一線に戻れるのか」と恐怖し、それでも石にかじりつくようにして将棋に取り組む。仲間の棋士に頼んで練習対局もこなすようになる。
これは「『頑張る』はNGワード」「ひたすら休む」といううつ病治療の常道からは外れるリスキーな選択なのだが、アマチュアレベルまで落ちた棋力が徐々に回復し、若手棋士と互角にまで戻る過程はまさに「逆アルジャーノン」状態で、非常にスリリングだ。
我々は知性を、その人に備わった静的な能力ととらえがちだ。だが、心身の振幅がそのレベルを大きく左右すること、一度は失われたように見えた知性が意思と努力で取り戻し得ることを、本書から知ることができる。
『うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』文藝春秋
先崎学/著