ryomiyagi
2019/12/11
ryomiyagi
2019/12/11
子どもを持つか、持つとすればいつか、結婚するかといった選択を自ら行う権利を持ち、機会を求め、大学で学び、収入をコントロールし、時間を管理し、目標に向かって前進し、働く場がどんな場であってもそこで高みへ上る―そうした数々の課題をこの本では取り上げてきました。
その一つ一つは、女性が全力で貢献できる存在になるために通り抜けていかなければならない扉、または打ち破らなければならない壁です。貧困から抜け出せずにいる女性や、権力を持つ男性たちにはじき出され萎縮させられている社会のあらゆる階層の女性、集い、語り合い、結託し、リードしていきたいと願う女性のために、私たちは壁を打ち破り、全ての人に門戸を開いていかなければなりません。
私はこれまでの人生で、様々な女性のグループに属してきましたが、当時は属している自覚がなく、後になって気づいたケースもあります。通っていた女子校は大きなグループでした。大学や大学院で女性が少ない時は、尊敬する女性の姿を探していました。
大人になってからは仕事やプライべート、スピリチュアルな活動の全てにおいて、女性たちと絆を育んできました。いつでも大切な男性の友人たちがいて、私が幸せに人生を送る上で欠かせない存在でした。しかし大きな不安に直面し、誰かにそばにいてほしい時、振り返るのは常に、特にグループでの付き合いのある女性の友人たちでした。
これまでの道のりで、隣で歩み続けてきてくれたのは女性たちだったのです。私たち女性にとって、女性同士の絆は個人だけでなく社会にとっても重要なものだと思います。前進はインクルージョンに支えられ、インクルージョンはまず女性が対象になるからです。
女性や少女を、男性や少年と対立する存在として輪に招き入れるということではありません。女性や少女を招き入れれば、男性や少年にとっても益となり、寄り添う存在を得られるのです。女性を招き入れて他者を排除するのではありません。全ての人を招き入れるために、まず女性を招き入れるのです。
女性は辺境を去り、居場所を得ていかなければなりません。居場所は男性の上でも下でもなく、隣です。社会の中心へ行き、声を上げ、自分たちが価値ある存在として扱われ、社会の意思決定に携われるように働きかけていくのです。
その過程では、多くの抵抗に遭うでしょう。しかし権力闘争をしてしまっては、前進し続けることはできません。道徳心に訴えるのです。隠され続けてきたジェンダーバイアスを日の下にさらせば、それに気づき立ち向かおうとする男女の数は増えていくでしょう。そうして、死角にバイアスを隠してきた規範を変えていくことができるのです。バイアスを直視し、消し去っていくのです。
特定の人々を排除してきた文化を変えるのは、簡単ではありません。支配欲を持つ人々との協力は難しいものです。しかし他に道はありません。また、輪の中にいた人々を逆にはじき出して「変化」と呼ぶのも間違いです。私たちをはじき出そうとする人々も含め、全ての人を輪に招き入れていかなければなりません。
そうすることでしか、望む世界は構築できません。どこかで誰かをはじき出すことに力を使おうとする人々がいるなら、私たちは人々を招き入れることに力を注がなければなりません。なすべきは世界に軋轢を一つ加えることではなく、軋轢をなくしていくことです。それが完全な理想を実現する唯一の道です。
娘のジェンと私がタンザニアでホームステイした家の、アンナという女性について(本書参照のこと)、アンナの生き様に深く感銘を受けた私は、彼女の写真を自宅の壁に飾り、毎日眺めています。アンナとどのような絆を築いたかについては、もうお伝えしましたが、まだ一つ秘めていたエピソードがありますので記します。
彼女の一日の家事を見学した時、私は少しでも手伝いたい、せめて邪魔にならないようにしようと思っていました。その最中、互いの人生について話をしていると、女性同士ではよくあることですが、アンナはふと心を開いて夫婦関係の危機について打ち明けてくれました。
結婚に際し、アンナは地元を離れ、夫サナールの住む地域に引っ越してきました。その地域は乾燥していて、農業を営むにも水を入手するにもとても苦労しました。どの井戸へ行くにも、アンナは20キロ近く歩かなければなりませんでした。そんな日々にも次第に慣れてはきましたが、一人目を出産してからは耐えられなくなりました。
ついにある日、荷物をまとめて子どもを抱き、玄関先に座ってサナールの帰りを待ちました。畑から戻ったサナールは、アンナが家を出ようとしているのに気づきました。アンナは、ここでの暮らしは厳しすぎるので実家に帰るつもりだと告げました。サナールがショックを受け、どうすれば留まってくれるかときくと、アンナは答えました。
「水を汲みに行って。そうすれば私はこの子の世話ができる」
そこでサナールはマサイ族の伝統を破り、井戸へ水を汲みに行きました。そして後日、自転車を買い、井戸まで自転車で向かうようになりました。やがて他の男性たちはサナールが女性の仕事をしていることに気づき、アンナの尻に敷かれていると揶揄しましたが、サナールの意志は固く、やめませんでした。自分が水を汲みに行けば息子はより健康に、妻はより幸せになる、それで十分だと思ったからです。
しばらくすると、他の男性たちもサナールとともに水を汲みに行くようになりましたが、往復40キロの道のりを自転車で行くのにすぐに疲れ果て、村全体で協力し、村の近くに雨水を集める集水所を作ることにしました。
話を聞きながら、社会の伝統に立ち向かったアンナの勇気と、寄り添ったサナールの姿に、私の胸には愛が溢れてきました。結婚生活を破綻させるか、絆を深めるか、どちらに転ぶか分からない中ではっきりと意見を伝えたアンナに、言葉で言い表せないほどの強い絆を感じました。二人だけの、女性のグループが出来上がった瞬間でした。
そして同時に、恥ずかしさも感じました。支援をするために訪れた裕福なアメリカ人女性である自分もまた、実は男女平等という課題に直面していて、属する文化を変えていかなければならないと気づいたからです。
私はアンナを支援する側ではありませんでした。アンナの話に耳を傾け、励まされていたのです。異なる世界に暮らす二人の女性が辺境の地で出会い、ともに飛び立つ瞬間を迎えたのです。
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