ryomiyagi
2019/12/13
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2019/12/13
私たちのまわりには空間が四方八方に広がっています。少なくとも、見た目にはどこまでも果てしなく続いているように思われます。果たしてこの空間は無限に続いているのでしょうか、それとも、十分に大きいだけで実際には有限に途切れているのでしょうか。現代科学が解明できない宇宙という謎めいた存在には、一体どれほどの可能性が秘められているのか? 最新の宇宙論から、私たちがいるのはどこなのか、根源的な問いに迫ります。
※本稿は、松原隆彦『宇宙は無限か有限か』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
なぜ私たちは、宇宙が無限かもしれない、と思うのだろうか。
その理由のひとつには、私たちのいる場所が宇宙の中で特別な場所なのではない、という事実がある。もし、私たちのいる場所が宇宙の中心ならば、遠くへ行くほど私たちのいる場所とは違った様子をしていると期待される。
実際、大地が不動の存在だとする天動説では、天の世界は地球を中心にして動いていると考えられていた。紀元前4世紀ごろ、古代ギリシャのエウドクソスの唱えた天動説では、地球が宇宙の真ん中に静止していて、そのまわりに入れ子状になった宇宙を想定している(図2−1)。
エウドクソスの天動説では、地球を共通の中心として、半径の異なった27個の天球を考える。一番外側の恒星天球には多数の恒星が張り付いていて、1日に1回転している。
それより内側の天球は隣り合う球面と回転できる軸でつながっていて、惑星や太陽を動かす役割を果たしている。
その後天動説は、2世紀ごろに活躍した古代ローマのプトレマイオスによって、精緻な体系にまとめあげられ、とても正確な理論となった。下図2−2はその概念図である。
この体系では、周転円や従円、離心円やエカントといった複雑な機構を導入する。そして、円の組み合わせだけで惑星の運動を精密に表すことができたのだ。プトレマイオスの体系でも、宇宙の一番外側には恒星天という球面が想定された。
プトレマイオスの体系が複雑なのは、惑星の運動を正確に表す必要があったためだ。だが、一番外側にある恒星天に複雑なところは何もない。単に地球を中心にして1日に1周するだけのものだ。それより外側に何があるのかは知り得なかった。そこが私たちの住む宇宙の果てであり、その外側は神と天使の世界だと考えられたりした。
地球ではなく太陽が宇宙の中心であるとする地動説は、古代ギリシャ時代にもアリスタルコスによってすでに唱えられていた。だが、この説が広まることはなく、中世ヨーロッパ世界ではプトレマイオスの天動説が権威的な理論として受け入れられた。
だが、16世紀のヨーロッパで、ニコラウス・コペルニクスが地動説を唱えた。彼の死の年である1543年にその詳細が出版されたが、宗教的な理由によって当初は容易に受け入れられなかった。だが、徐々にその長所が認識されていった。
コペルニクスの体系も、惑星運動を説明するやり方が天動説と異なるだけで、恒星天については特に何も言っていない。地動説が言うように、地球が不動のものではなくて太陽のまわりを回っているのなら、恒星の見かけの方向が1年ごとに変わってもよさそうなものだ。だが、そういう動きは知られていなかった。
コペルニクスの体系において、このことは弱点のひとつだった。その弱点を避けるには、恒星天までの距離が十分に遠いと考える必要がある。
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