ryomiyagi
2020/05/19
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2020/05/19
※本稿は、野村晋『「自分らしく生きて死ぬ」ことがなぜ、難しいのかーー行き詰まる「地域包括ケアシステム」の未来』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
地域包括ケアシステムは「地域における医療及び介護の総合的な確保の促進に関する法律」に定義がされている。
具体的に条文で紹介すると、「地域の実情に応じて、高齢者が、可能な限り、住み慣れた地域でその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、医療、介護、介護予防(要介護状態若しくは要支援状態となることの予防又は要介護状態若しくは要支援状態の軽減若しくは悪化の防止をいう。)、住まい及び自立した日常生活の支援が包括的に確保される体制」とされている。
このように、明確に定義上「高齢者が」と記載されていることからもわかるとおり、地域包括ケアシステムは高齢者のためのシステムと理解される。
筆者はその定義を「時代から乖離していて間違っている」と指摘しているのではない。そうではなく、この「可能な限り、住み慣れた地域でその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、医療、介護、介護予防(略)、住まい及び自立した日常生活の支援が包括的に確保される体制」は、現在進みつつある「多様な価値観を認め合う社会」を考えていく中では、特に「高齢者」だけを主語にする必要はないことを問題提起し、「全世代型への深化」を提案したい。
それでは、高齢者に限定しない形での地域包括ケアシステムの深化について、考えてみたい。
2040年には、今の現役層と言われる年齢層の人口は大きく減少する。これにより、今後は、これまでの、「現役層や健康に不安のない人、課題を抱えていない人が中心となって経済を支える」という発想では立ち行かず、「色々な価値観やアイデンティティーの人がともに暮らしていく」時代、つまり「疾病にならないように、課題を抱えないように、する」ことから一歩進めて、「人が何らかの疾病や福祉的課題を抱えていることは当たり前」という前提に立ち、その前提の下で皆が活躍していく社会を構築していくことが必要になると考えられる。
これは何も遠い未来の話をしているのではない。「今」でも、親の介護や子育てに悩んだり、自分や配偶者の仕事、健康状態に悩む、といったことは、ごくごく身の回りに起きていることだ。ただ、その当事者が取り立てて話題にしないため、目につかないだけである。
もし今、自分がその当事者になっていないのであれば、それは確率論の成せる業によってのみであり、誰にでも起こり得る話なのである。
これから必要とされる社会システムは、多様な価値観の下でそれぞれの暮らしを最大限に良くしようとする時、抱えている課題をクリアするための選択肢を様々な支援策で作り出しながら、暮らしたい地域で自分らしく暮らすことを可能にしていくシステムであると言うことができるだろう。
困っているから支援を受けるというのではなく、「自分らしく暮らす」ことにチャレンジするために必要な環境を整備するシステムである。
一方、地域包括ケアシステムは、住み慣れた地域で医療・介護を一体的に受けながら自分らしく暮らしたいというニーズを実現するシステムであるが、これは、要介護になった高齢者が生活が困難だから支援を受けるというだけではなく、介護や医療が必要になっても、自分らしい暮らしを選択できる(そして、最期の暮らし方も選択できる)ことを実現するシステムでもある。
そうであるならば、これからの社会システムが目指している社会は、地域包括ケアシステムのそれと全く同じであろう。
この「これからの社会システム」の主な要素は、
・生活の安定を図るための福祉的な支援(福祉サービス)。
・健康増進と、(必要になった時の)適切な医療の提供。
・仕事などを通じた生きがいある暮らし。
であり、これらが包括的に提供・実現されるシステムというものだと考えられる。
つまりは、今までの地域包括ケアシステムが、高齢者向けの支援である「介護」と、家で医療を受けられるようにする「在宅医療」を整備のメインターゲットとしていたものとすると、これからの社会システムは、多様な人々の暮らしへのチャレンジを後押しするという観点で、「多分野の福祉的な支援」と「健康増進と治療が必要になった場合の適切な医療の提供」というものにそれぞれがバージョンアップしていくということであって、地域包括ケアシステムの深化系(本書の冒頭で地域包括ケアシステムを発展させた考え方として示した「全世代型の地域包括ケアシステム」)と言うことができるであろう。
しかし、制度ごとに地域包括ケアシステムを作り出し、それを運営・維持していくには、2つの課題が考えられる。
1つは、人口が減っていく時代背景を踏まえると、制度ごとに必要な専門家を育成し続けることは限界があり、「全世代型の地域包括ケアシステム」の構築が困難になる可能性があるということである。
そして、もう1つは、各制度の範囲でカバーされる人は、しっかりと各制度の支援を受けられるが、それでカバーし尽くせない人や、複合課題(いわゆるダブルケアや8050問題〔80代の親の暮らす家に50代の引きこもりの子どもがいるという問題〕など)を抱える人は、支援を受けきることができない、または制度間での調整に手間を要して、結局は支援による最大効用は実現されない可能性がある、ということである。
もう少し踏み込んで言えば、今の制度の下で、「全世代型の地域包括ケアシステム」を展開していくことは不可能ではないが、多分に医療・介護・福祉の人々の獅子奮迅の働きに依るところとなり、持続可能性はほぼないであろう。
また、制度の対象から外れるがゆえに対応しきれない人や、複合的に課題を抱えて複数制度での支援が必要になり、調整コストが甚大にかかる人(最大効用を得ることができない人)も存在し、多様な価値観の下で生活の質を追求するということを制限することとなる。
つまり、苦労して作り上げたとしても、必ずしも国民の満足度が高いものになるとは限らないため、相当の運用上の工夫を図っていかなければならないということである。
以上の考察で、「全世代型の地域包括ケアシステム」の実現は、多くの難題を抱えるということは明らかかと思うが、それを踏まえた上で、厚生労働省が掲げるのが、人口減少という大きな流れの中で、今の制度の質の向上を図り(つまり「全世代型の地域包括ケアシステム」の実現)、その持続可能性を高めていく考え方(改革の基本コンセプト)=「地域共生社会」である。
「自分らしく生きて死ぬ」ことがなぜ、難しいのか
野村晋/著
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