クジラの進化は地球の未来を予言していた!? 今、クジラ博士が解き明かす「クジラ」という生物(前編)
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平成最後の年末、2018年12月26日ーーー日本は、国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を表明した。戦後に捕鯨を開始して以降、長きに亘ってIWCを支えてきた最有力国の一つでもあった日本は、なぜ脱退という道を選ばなければならなかったのか? 長年IWC科学委員会に携わってきた鯨類研究者である著者が、そもそもクジラとはどんな生き物なのか、そして日本とクジラ、IWCの関係に迫る光文社新書『クジラ博士のフィールド戦記』の発売を記念して、本書の一部を公開。
第1回となる今回は、クジラはどのようにして生まれたのか? その誕生の歴史を紐解きます。

 

 

海産哺乳類の世界

 

今ではもうほとんどの人がご存じと思うが、クジラは魚型をしていてもれっきとした哺乳類である。したがって、海に棲む哺乳類、我々はこれらを慣習上、海産哺乳類と呼んでいる。

 

しかし、海産哺乳類は、文字どおり海に棲む哺乳類の総称であるだけではなく、淡水にすむカワイルカ類やアザラシ類をも包括するので、本来の意味からすれば、水棲哺乳類と表記する方がむしろ適当かもしれない。広義には、ラッコ、カワウソ、ビーバー、さらにはシロクマやカバを含む場合もある。

 

ここではあまり細部にこだわらず、生活の全部もしくは大半を水界に依存する鯨類、鰭脚(ききゃく)類及び海牛類を海産(水棲)哺乳類としておく。

 

クジラの世界

 

クジラの祖先と分類

 

クジラは鯨目(*)(Cetacea)に属する種の総称であり、祖先はおよそ5000万~4500万年前に生息していた陸生の哺乳類(顆節目)メソニックス(漸新世初期に絶滅した中型の陸棲哺乳類で、メソニックス目として分類されることもある)がその祖先といわれてきた。筆者も授業でそのように説明してきた。

 

しかし、1997年に東京工業大学岡田典弘教授(当時)の研究グループが行った、レトロポゾン法(SINE法)による分子進化学的分析によると、鯨類の祖先は、現在のカバに近い原始的偶蹄類であるとの見方が浸透してきた。

 

この分析についての論文は、筆者も共著者になっており、科学誌ネイチャーに掲載された。これは、今では定着した考え方になっている。

 

*分子生物学的研究の進展に伴い、近年ではクジラ偶蹄目という括りも見受けられるが、本書では鯨目で括った。

 

 

最古の鯨類は、およそ5000万年前に出現したパキセタスやアンブロケトゥスと呼ばれる哺乳類といわれており(一時クジラの祖先とされたインドヒウス説は、現在ではあまり支持されていない)、図1のように立派な後ろ肢があった。

 

いずれにしても、これら初期の鯨類から、およそ2500万年前に絶滅したムカシクジラ類(亜目)を経て、鯨類は悠久の時と共に地球上のあらゆる水域に広がりつつ発展してきたと考えられている(図2)。

 

 

現生種は、ヒゲクジラ亜目(Mysticeti)とハクジラ亜目(Odontoceti)の2つのグループに分かれ、おのおの特徴ある生活を送っている。

 

分類体系はしばしば見直されているが、2018年時点では、現生種としてヒゲクジラ類14種、ハクジラ類75種の計89種が認識されている(米国海産哺乳類学会2018年分類表による。表1)。

 

 

腹びれイルカ

 

それでもまだ鯨の祖先に後ろ肢があったことに、疑問を持たれる方もいるかもしれない。

 

いずれ全貌が明らかとなる予定だが、2006年10月28日に和歌山県太地町沖合で、胸びれに加えて腹びれを持つハンドウイルカが捕獲された(図3)。

 

 

このイルカは太地町立くじらの博物館の透明水槽で2013年4月まで飼育され、三軒一高太地町町長、林克紀館長、そして大隅清治名誉館長のご厚意により、東京海洋大学のほか三重大学、東京大学、慶應義塾大学、順天堂大学による研究チームを発足させることができた。筆者は、この研究プロジェクトの研究リーダーを務めた。

 

以下の研究サブグループが結成され、現在なお、解剖学や遺伝学を含む詳細な研究が進行中である。

 

 (1)形態学グループ(リーダー、順天堂大・小泉憲司助教:当時)
 (2)遺伝学グループ(リーダー、東大・浅川修一教授)
 (3)繁殖・生理学グループ(リーダー、三重大・吉岡基教授)
 (4)行動学グループ(リーダー、東京海洋大・加藤秀弘教授〈筆者〉:当時)

 

この腹びれイルカには、鯨の後ろ肢に相当する場所に一対の鰭(ひれ)が生えている。詳細な研究は各リーダーの下で、伊藤春香さん(形態)、宮下梨菜さん(遺伝)らによって進行中である。

 

筆者流に簡単に解釈すると、この一対の後ろ肢は、胎児期の初期に先祖の名残として一旦表れ、その後に消え去るのが普通だが、後ろ肢を引っ込める遺伝子に異常(突然変異)が生じて、引っ込まぬまま成長してしまったらしい。

 

なお、この個体は一般公募によって、遥か昔の先祖の形質がよみがえったとして、“はるか”と名付けられた。

 

鯨類進化のミッシングリンクの一つは、どのような過程を経て後ろ肢が消失したかにある。

 

この腹びれイルカは、その“もし後ろ肢があったら……”というifストーリーを再現的に実験してくれているとも解釈できる。早期の全貌が明らかになることを期待したい。

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