akane
2019/03/18
akane
2019/03/18
ヒトである私たちは協力する傾向を持ち、その傾向によって発展してきた以上、これからもその傾向から逃れることはできないでしょう。今後ももっと大きな単位で協力を続けていくに違いありません。協力はもはやヒトの宿命です。
実際にヒトの協力関係はまだ発展中です。アダム・スミスは『国富論』の中で、人間社会での分業と協力が有利になる条件は「十分に大きな市場規模と流通の円滑さ」だと述べました。
人類においてはどちらも目下拡大中です。流通網は拡大し、今や世界中のほとんどの国と取引ができるようになっています。世界の人口も70億を超え、いまだ拡大中です。私たちの分業体制は今や世界規模になっています。中東では石油を産出し、東南アジアで衣料品を生産し、中国や韓国でスマートフォンを製造し、日本で車を製造しているのは国家レベルの分業です。食料問題やエネルギー問題、局所的ないざこざはあるものの、大きな視点で見てみると人類は大きなひとつの経済圏として豊かになろうと協力をしているように見えます。生命進化における協力関係の拡大はいまだ進行中で、ヒトは間違いなくその最先端にいます。
人工知能かコンピュータープログラムか では、次の段階の生物社会はいったいどんなものになるのでしょうか? 今のヒトの社会の延長線上にあるのでしょうか?
ちょっと注意すべきなのは、生物進化において次のレベルの協力関係は、必ずしも前のレベルの協力のチャンピオンから生まれるものではないことです。例えば、ヒトが現れる以前の最も高度な社会は、間違いなくアリの社会だったでしょう。キノコを育てるハキリアリの巣は、大きなものでは数百万の個体を抱える巨大な社会を作ります。しかし、ハキリアリの中からは、次のレベルの「血縁のない社会性」は生まれてきませんでした。アリからは、高度な脳も、言語も、文字も、科学技術も生まれてこなかったのです。これらを生み出すことができたのはヒトのみです。
約1億年前のコハクに閉じ込められた昆虫の形態から、シロアリの祖先はそのころにはすでに社会性を持っていたと考えられています。一方で、そのころヒトの祖先はまだネズミのような小型の哺乳類で、協力もせず単独で生きていました。またその後の歴史も大してパッとしません。ヒトになって知能を発達させてからも人口は500万人程度で推移していたといわれますし、野生動物には捕食される側のか弱い生き物でした。
実際に、数十万年前まではホモ・エレクトスやホモ・ネアンデルタールレンシス(ネアンデルタール人)など複数いたヒト属は、ホモ・サピエンスを除いて1万年前までに絶滅してしまいました。それが1万年ごろから定住生活を始め、都市を作るようになってからヒトの快進撃が始まりました。この発展にはそれまでに培った高度なコミュニケーション能力と、協力を可能にする心のおかげだと考えられています。すなわち、現在のヒトの繁栄は決して約束されたものではなく、逆境からの逆転満塁ホームランのようなものです。
そう考えると、次の段階の協力関係を身につけた生物は私たちヒトの子孫ではないかもしれません。今は気にもとめていないものが、将来人類と地球資源を取り合い、なんだったらヒトを押しのけて発展するというようなことになるのかもしれません。現状で一番ありそうに思うのは、人工知能などコンピュータープログラムでしょうか。
今、地球上にはたくさんのコンピューターがあふれていて、その中で増殖できるプログラムにとっては理想的な環境にあります。一部のコンピュータープログラムには進化する能力を持つものもいますが、今のところコンピューターウイルスのように他のコンピューターに感染して好き勝手に増えることはありません。ただ、これは今はいないというだけで、原理的に現れない理由はありません。そのうち勝手に進化するプログラムが現れて、どんどん進化し、人類とコンピューターのCPUの使用時間を取り合うことになるのかもしれません。
かといってヒトが悲観する必要はないと思います。なぜならプログラムがヒトにとって脅威になるくらいに高機能になるためには、プログラムもまたプログラムどうしで協力する必要があるはずだからです。つまり、ヒトにとって脅威になるほど複雑になったプログラムは、性質として必ず協力的なはずです。別の言葉を使えば、付き合いやすいいいやつのはずです。そして、コンピュータープログラムとヒトが得意な分野は間違いなく違います。だからおそらく、そんなコンピュータープログラムともヒトは協力し合って仲良くやっていけるはずです。
そうした種や生物と非生物を超えた協力が次のレベルの生物進化なのかもしれません。
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