akane
2019/02/14
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2019/02/14
作家・馳星周氏は8年前から登山を始め、地元・軽井沢の浅間山から八ヶ岳、燕岳、常念岳、白馬岳、奥穂高岳など日本各地の名峰へカメラを手に登り、その美しい山容を撮影し続けている。
登山家にして山岳カメラマンの平出和也氏は、2008年に登山界のアカデミー賞といわれるピオレドール(金のピッケル賞)を日本人として初めて受賞し、2018年には同賞の2度目の受賞を果たしている世界的クライマー。三浦雄一郎氏の「80歳エベレスト登頂」もカメラマンとして同行し、NHK「グレートトラバース百名山一筆書き」の撮影も平出氏の仕事だ。
世界的に評価されながら更に挑戦的な活動を続ける平出氏に馳氏からのラブコールが届いての対談実現となった。会話は意外にも「寂しがり屋」という話題から始まり――。初対談を3回にわたりお届けします(2018年12月6日収録)
馳 さっきちょっと話してましたけど、登山を始める前は競歩をやられていたと。
平出 そうですね。
馳 それがどうして山になったんですか。
平出 やっぱり若い時って自分の人よりも優れたところを確かめたいというような気持ちがあって、となると人と競うしかないじゃないですか。人と競って勝ったり、一番でゴールテープを切ることで満足感を得ていたんですね。ただ、大学まで競技スポーツをずっとしていたんですが、人と競うことがちっぽけに思えてきたんです。何かを成し遂げたからってわけじゃないんですが、徐々に大人になってくると世界が見えてくるじゃないですか。自分が競技しているグラウンドの中でしか頑張ってないと。グラウンドを出ても強い人間でありたいなと思った時に、山登りってまさしく全て自分の責任においてやる活動だと。誰の責任にもできない。いま人の責任にできることっていっぱいあるじゃないですか。でも、全て自分の責任においてできることをしたいと。それが山だったと。やっぱり昔、父と登った山登りを思い出した時に、あっ、山って自由な発想で登る山を決められるし、メンバーを決められるし、道具も食料も全て自分で決めて……で、登っている最中も右から行くのか、左から行くのか、全て自分で決める。そして、自分で決めていれば、何かあっても自分の責任なわけなんで。
馳 そうですよね。うん。
平出 全て自分の責任においてやる活動をしたいと思った時に、山が一番マッチしたということです。
馳 山岳部に入られたんですか。
平出 入りました。大学の2年までは陸上部で、その年の夏に日本選手権で10番になったんです。それできっぱりと・・・。
馳 区切りをつけて。
平出 はい。まあ、人と競うことじゃなくて、自分と対峙するようなことをやりたいと。もちろん陸上でもね1歩前を走っている人を抜かそうというので自分をプッシュするわけですけれども、こんどは1歩前を走っている人じゃなくて、もう1人の自分と対峙したいなと。山だと、どうしても弱い自分が出てきますよね。
馳 出てきます、出てきます。
平出 正直じゃないですか(笑)。
馳 そう(笑)。
平出 でも、そこで諦めるのか、行こうとするのか、もちろんいろんな判断を含めて自分の責任においてやりたいと。ただ、その頃はまだよく分かってなかったですけどね。
馳 まだね、十九か二十歳ですもんね。
平出 実際に山を始めてみたらそんなに簡単ではなくて。イケイケで、敗退して帰るなんて考えられないというか、もう突っ込んで突っ込んで、どうしても視界が狭くなっていく。頂上しか見えなくて、怪我してでもいいから山頂に登りたいというような、やっぱり若さ故にそんなふうになって、凍傷になったりして。でも、その時に、これってやっぱり自分の責任においてやる活動だからこそ、この怪我があったんだと。身をもって経験して、「山で全ての責任を自分で負うって大変だな」というふうに徐々に理解していったんですね。
馳 若い時はしょうがないですよね。だけどね、それで命を落としちゃう人もいるわけだし。
平出 そうですね。幸い怪我くらいで済んで良かったんですけど。でも「あ、これなんだ、おれがやりたいの」っていう、そんなものを感じたのかもしれないですね。本当にやりたいことに出会うというのは、自分で気づけなかったりして、なかなかないと思うんです。
馳 たぶん僕はね、自分の本当にやりたいことに出会っちゃった。小説書くことですけど。たいていの人はやっぱりなかなか出会えないわけですよ。
平出 最初の頃は誰かが歩いた道をたどって登山道のあるところを歩いていて、でも感じるところがあって、そのうちに人が歩いていないところに行って自分が歩いたところが道になるような活動をしたいと思いだしました。
馳 僕は45歳から登山を始めたんで、もっと若い時に、体力のあった時に始めてれば、もっといろんな山に登れるのにと思うことがあるんです。新宿ゴールデン街でバーテンのバイトじゃなくて、山小屋の小屋番のバイトをしていれば良かったって、時々思いますよ(笑)。
平出 いまのいろんなスポーツって若い人が強いじゃないですか。場合によったら中学で世界一になっちゃって20代で終わりみたいな。でも登山て逆に年を重ねれば重ねるほど、より山の素晴らしさが分かるし、より奥深い山に行けるようになるという、そんな魅力がある。これは他のスポーツにはないところだと思います。
馳 年とって体力が落ちたら落ちたなりの登山ってあるじゃないですか。50歳過ぎて40代の頃のように登れば登るほど体力がつく感覚でなくなった時に、ここで無理して怪我でもしたり、次の日に歩けないということになったら嫌だな、とふと思って、別にそんな急がなくてもいいじゃない、ゆっくり登ればいいじゃない、と思うようになったのが去年くらいからかな(笑)。
平出 山登りで疲れにくいコツってゆっくり歩くことですね。それができるようになると山はもっと楽しくなりますね。あと、誰が行っても山は正直というか、贔屓しないじゃないですか。誰にでも同じように試練を与える。それがすごいシンプルでいいですよね。
馳 本当にシンプルだから面白いんだと思います。最初の頃は道具に走るじゃないですか。もっと軽い道具、もっと軽いウエアとか。で、ある時気づく、自分の体重を減らせばいいじゃんって(笑)。高いウエア買って500グラム減らすよりダイエットしたら2、3キロ減るじゃん。その方が肉体的にも楽になるし、何でいままでこんなシンプルなことに気づかなかったんだろうって(笑)。
――2度目のピオレドールを受賞されたシスパーレ登攀では中島健郎さんがパートナーでしたが、一緒に登る仲間はどのように決められますか?
平出 いま僕がやっているやり方の登山だと候補が限られてくるのでメンバーはわりと簡単に決められますけど、それが本当にベストパートナーかというとそれはたぶん一生に1人か2人出会えればいいぐらいだと思うんです。以前は谷口けいさん(初めてのピオレドールを受賞したカメット峰登頂の際のパートナー)とずっと一緒に登ってましたけど、亡くなってしまいました。彼女はよく「40までは吸収する人生で、40からは還元する人生にしたい」と言ってたんです。僕より7歳上でやはり大人だったんでしょうね。僕はそんなこと関係なしに、ずっと好きなことやってられたらいいやと思ってたんですけど、40近くになってきて還元する人生になりつつあるなと思うようになりました。そんな時に目の前に現れたのが中島健郎で、彼はやっぱりセンスはいいし、すごい高いパフォーマンスを示すんですけど、もうイケイケで、それは10年前の自分を見ているかのようなんですね。その彼がイケイケのパートナーと山に行ってたらけっこう簡単に死んでしまうんじゃないかと。僕は山に登るたびに山が恐くなって慎重になってきて、登れない山が多くはなったんですけど、逆に生きて帰ってくることの重要さを考えるようになってきました。そんな僕の行動から山で生き延びる術みたいなものを学んでほしいなと思って、ひと世代若い彼を育てたいというので一緒に行くようになったんです。僕の還元する人生の……。
馳 始まりですね。
平出 はい。だから彼をベストパートナーと思っていなくもないんですけど(笑)、彼にはそう思ってほしくないというか、僕を踏み台にして違うパートナーと1ステップ上に行ってほしい。生活している中で冒険を続けていくのは大変じゃないですか。学生の時は「一生山登りして遊んで生活できるんじゃないか」って勘違いしてましたけど。やっぱり就職して冒険を続ける環境を作るのは難しかったし。応援してくれる人を増やすのが重要じゃないかと。
馳 そうですね。経験を積み重ねて気づいてもらうしかないですよね。
平出 同じ山を何回も登ってると分かると思うんですけど、1回目に気づかなかったことに2回目3回目に気づくことがあるわけじゃないですか。経験すればするほど視野が広くなるんです。
馳 同じ山に2回も3回も登ってると「こんな岩あったっけ」て気づくことがあります。それまではいっぱいいっぱいで気づけなかったこと。
平出 シスパーレは、最終的に登れたから言えることかもしれませんが、やっぱり過去3回の失敗があってより良かったな、という感じはあります。1回目2回目3回目は僕にとって雲の上の目標だったのが、いつの間にか挑戦している中で僕も成長して4回目でやっと登頂できた。自然に自分が成長させてもらったと言いますか、山に育ててもらったような。1回の挑戦で登れるような山はいまは全然魅力を感じないです。苦労した分しっかり記憶として残る。そんな活動をしていきたいと思っています。K2の未踏ルートとかいまいろいろと第2の登山人生を始める場所を考えています。シスパーレは15年かけて登ったので、次は20年くらいかけて登れるような山じゃないといまは頑張れないという気持ちです。
【ネパール・アピ登山動画】
平出和也・ひらいでかずや
1979年長野県生まれ。アルパインクライマー、山岳カメラマン。2008年インド・カメット峰に新ルートから登頂し、登山界のアカデミー賞といわれるピオレドール(金のピッケル賞)をパートナーの谷口けいとともに日本人として初受賞。2017年植村直己冒険賞受賞。2018年、前年に達成したパキスタン・シスパーレ北東壁未踏ルート登攀の功績でパートナーの中島健郎とともに2度目のピオレドール受賞。現在、(株)ICI石井スポーツ登山本店所属。
馳星周・はせせいしゅう
1965年北海道生まれ。編集者、フリーライターを経て、1996年『不夜城』(KADOKAWA)で小説家としてデビュー。翌年に同作品で吉川英治文学新人賞、日本冒険小説大賞を受賞。’98年『鎮魂歌 不夜城Ⅱ(KADOKAWA)』で日本推理作家協会賞、’99年『漂流街』(徳間書店)で大藪春彦賞を受賞。ノワール小説の旗手としてベストセラーを連発する。近年は歴史小説『比ぶ者なき』(中央公論新社)や犬をテーマにした『ソウルメイト』(集英社)など作品の幅を広げ、山岳冒険小説『蒼き山嶺』(光文社)も好評。軽井沢在住。
『蒼き山嶺』馳星周/著
警察から追われ、刺客に命を狙われながら、
山岳冒険小説の新たな傑作!
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