食べるのは「自分」なのに「他人ごと」で…世界的な食糧危機が迫っている
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ryomiyagi

2021/09/27

 

巨大な台風が北上中だが、うまくそれてくれるだろうか……こんな風に、雨だ風だと、その都度、各地の被害を案じなければならないようになったのはいつ頃からだろう。ありがたいことに今年の夏は、猛暑や酷暑こそ免れたが、代わりに線状降水帯と化した梅雨前線により、西日本は広範に渡って大きな被害を被った。

 

古来、日本人が恐ろしいものとしてきたものに「地震・雷・火事・親父」がある。ここでいう「親父」とは、「台風」である。しかしこの夏、西日本各地に甚大な被害をもたらしたのは台風ではなく梅雨。
これまでは時候の陽気の一つとして扱われてきた梅雨が、近年新たに気象用語となった「線状降水帯」と化したことによるものだ。しかし、台風ですらない梅雨がこれほど猛威を振るうとは、これも温暖化による異常気象ということだろう。
しかし、実を言うと私は、遠からずこうなることを知っていた。
それは、30年ぶりに故郷・愛媛に帰省した折りに、里山の緑が余りに奇麗なことに驚き声を漏らした時。そばにいた友人から、
「ミカンの値が落ちて、もう誰も作ってないから、山はもう荒れ放題だ」
と、言われてみれば納得の田舎の実情を知らされた。
言うまでもなく、里山には手入れが必要だ。かつては自然林だった山を果樹園としたなら、欠かさず手入れしなければ、たちまち山には雑草と雑木が茂り、立ち入ることもできず補修もできなくなる。後は、いつ崩れてもおかしくない。どこが危ない状態か、そんなこともわからなくなってしまうのだ。
『日本の食と農の未来』(光文社新書)を読みながら、あの緑に満ちた里山と友の言葉を思い出した。

 

土壌の劣化も深刻です。農耕地の成立条件は、自然の中で最も安定した状態である森林の伐採です。森林を伐採すると、土壌の劣化が始まります。農業はこうした不安定な自然生態系を維持しなければ持続しません。そのため、有機物を投入して地力を高め、肥沃な土壌を人為的につくり出してきました。これが「土づくり」です。

 

農学博士であり、長年、有機農業や都市農業を研究してきた著者は、日本の食と農業の未来に対して、単なる自給率の増減ではない、それを担う人材や環境に対する問題提起と解決法を多角的に提唱する。異常気象や武力紛争やコロナ禍など、メディアが余り取り上げることのない、それでいながら確実に深刻の度を増している重大な問題ばかりだ。

 

戦後の農業政策は、1961年に制定された農業基本法のもと「農業の近代化」を目指し、そのうち「選択的拡大」政策では、野菜、畜産、果樹の生産を奨励して産地の形成を推し進めました。ところが、1980年代後半以降、そのような生産奨励作目の輸入が増加し、離農者の増加や農業経営の継続困難によって国内農業の規模が縮小していきます。現在、さらなる自由貿易の推進と規制緩和が進み、国際競争を強いられています。

 

と著者は、我が国の農業が、政治や社会の変化によっていかに危機に瀕してきたかを端的に解説する。
昭和30年代生まれの私にとって、仕事として考えた場合の農業とは「割に合わないもの」でしかなかった。ゆえに、地方都市の農村部に育った私のクラスメイトで農家を継いだ者は、ましてやそれが専業となれば、私の知る限り一人もいない。
朝早くから陽が沈むまで、泥にまみれて働かなければならない農業になど、余程の事情がなければ就こうとは考えなかった。そうして農村部の若者は、皆して都会を目指した。

 

食糧事情がひっ迫し、自国の国民の食糧が足りないのに、輸出を続ける国はなく、輸入国の食糧事情は考慮されません。すでに、お金があればいつでも食料を輸入できる時代ではないのです。
一方、いざ国内で食料を生産しようと足もとを見ると、農業者の減少や耕作放棄地の増加が進み、「耕す人が誰もいなかった」「耕せる農地も無かった」という状況になりつつあります。
このように、私たちの食卓は、食料の海外依存による不安定さと国内農業の荒廃が同時に進行する「二重の脆弱性」というリスクと常に隣り合わせにあるということを理解しておきましょう。

 

近年、主な食糧輸出国である北米・オーストラリア・ロシア・中国などの食料の生産性は大幅に減少しており、近い将来、輸出ではなく輸入国に転じると報告されている。
著者が訴える「世界的な食糧危機」は、もはや目前に迫ってきているというのに、まだ国内の食に対する問題意識は「もったいないの精神を取り戻そう」のレベルでしかない。いつから私たちは、「食糧事情」や「農業問題」が「他人ごと」になってしまったのだろうか。
食べているのは自分たちなのに、その「食」にまつわる問題は「他人ごと」でしかない。

 

近頃世界を騒がせているアフガニスタン関連のニュースに、故・中村哲医師の写真を目にすることが多くなった。
ご存じ方も多いかと思うが、同医師はパキスタンやアフガニスタンで医療活動に従事し、その平和的な活動が国際的にも高く評価された方だ。不幸にも、2019年に凶弾に倒れるが、本来の医療活動以上に、井戸の掘削、用水路の整備と、農業と灌漑事業に重きをおいていた。なぜなら、諍い(内紛)の原因である食糧事情を解決することこそが、最も重要だという確固たる信念があったからである。
東京都心からでも、電車や車で小一時間も移動すれば、そこに私たちの食卓を支える田畑や農家の方々を見ることができる。
それでも、私たちにとっての食糧事情は、たとえ危機に瀕していようとも、圧倒的に「他人ごと」である。果たして、遠く海の向こうの荒涼とした土漠の国・アフガニスタンなどは、そんな私たちにとっては「他人ごと」どころか「絵空事」でしかないのかもしれない。

 

持続可能な社会については、1970年代から国際レベルで議論されてきました。1987年に「持続可能な開発」の概念が提示され、1992年の地球サミットでは持続可能な開発の必要性が全世界で共有されました。
国連によると、持続可能な開発とは「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発」と定義され、将来の世代の暮らしと社会をつくる長期的な視点に立っています。

 

このところ、やたらと「SDGs」という言葉を耳にする。国内では、「食糧を大切に」とか「プラスチック・ストローの廃絶」などのレベルで語られることが多いが、このSDGsこそが「持続可能な開発目標」である。
「誰一人取り残さない」社会を実現すべく採択された、「貧困」「飢餓」「健康・福祉」「平等」「気候変動」など17項目に及ぶ目標の多くが、これからの「食と農」に対するアクションによって良くも悪くも大きく左右されるはずだ。

 

今、問われているのは、食と農のつながりの「中身」です。(中略)
いつの時代でも、人間は食の確保に多くの時間を割き、当然、日々の暮らしの中で意識せざるを得ない「自分事」でした。戦後は食糧難が続きましたが、高度成長期以降、経済と社会が発展すると、「生産者」と「消費者」という言葉が一般的に使用されるようになり、食の確保は徐々に「他人事」になっていきます。

 

より豊かな暮らしを追い求めるうちに、豊かさの象徴の一つが「飽食」になっていったように思う。そして、都市部で暮らす私たちは「消費者」であり、農業や漁業に従事する人たちを、いつしか「生産者」と位置づけ、食にまつわる問題を、それぞれの事情としてしか考えられなくなってはいないだろうか。
『日本の食と農の未来』(光文社新書)は、そんな私たちの食事に対する考え方と、食糧事情(農業や漁業など)に対する理解と共感と行動こそが、日本の将来を守り、かつ世界の深刻な諸事情を改善すると教える一冊だ。

 

文/森健次

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