『セーラー服と機関銃』をはじめ、主演作を次々に大ヒットに導いた“映画女優”薬師丸ひろ子の時代(その1)
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ryomiyagi

2020/04/29

昭和の時代、多くの人を熱狂させた「アイドル映画」。
ここでは、そうした作品が盛んにつくられていた1960年代から80年代までの約30年間を「アイドル青春映画の時代」と呼びたい。
その時代に、10代、20代を過ごした人たちは、大なり小なりアイドルに関心を持ったに違いない。
「アイドル青春映画」を観に映画館へ通った方も、少なくないと思う。
ここでは、スクリーンを彩った昭和のアイドルと、その出演作を振り返ってみよう。

 

※本稿は、寺脇研『アイドル映画の時代』(知恵の森文庫)の一部を再編集したものです。

 

 

★14歳薬師丸ひろ子の鮮烈な初出演作『野性の証明』

 

1980年の山口百恵の引退と入れ替わりにアイドル女優として注目されたのが、百恵と同じように中学在学中にデビューした薬師丸ひろ子である。

 

この少し前、角川書店の角川春樹社長が映画製作に乗り出し、自社が原作を出版している横溝正史の『犬神家の一族』(76年/監督・市川崑)、森村誠一の『人間の証明』(77年/監督・佐藤純彌)で連続大ヒットを記録していた。

 

第3弾として森村誠一の『野性の証明』(78年/監督・佐藤純彌)が企画され、物語の鍵を握る少女役が一般募集される。2000名を超す応募者の中から選ばれたのが、当時13歳の薬師丸だった。

 

14歳になって出演した『野性の証明』における自然な演技が評判となり、CMやテレビドラマにも起用されて一躍人気者となった彼女の初主演作は、『翔んだカップル』(80年/監督・相米慎二/脚本・丸山昇一/原作・柳沢きみお)である。

 

後に日本を代表する監督の一人となる相米慎二監督のデビュー作であり、相米独特のスタイルの映画作りが貫かれた新しいタイプの青春映画として大きな話題を呼んだ。

 

原作は週刊少年マガジン連載の人気漫画であり、高校生男女が偶然同居することになるという、その後の漫画のひとつのパターンとなる設定を、少年誌連載作品でおそらく初めて世に問い、大きな話題となっていた。

 

九州から東京の名門高校に入学して叔父の留守宅での生活を始めた勇介(鶴見辰吾)は、ルームメート募集を頼んだ不動産屋の手違いで、同級生の圭(薬師丸ひろ子)と一つ屋根の下で暮らすことになる。

 

もちろん学校には内緒だから、級友にバレないか冷や冷やものだ。

 

秀才の中山(尾美としのり)が圭に惚れ、クールな才女・杉村(石原真理子)が勇介に興味を持ったりするから、なおややこしい。映画は、この4人の初々しい気持のやりとりを絶妙の描写で示していく。

 

役と同じ高校1年だった薬師丸の相手役に起用された鶴見は、79年にスタートした人気テレビドラマ『三年B組金八先生』(TBS系)の生徒役で注目され、やはり高校1年。

 

また、子役出身の尾美は当時中学3年、スカウトされデビューした石原は高校2年と、実際にミドルティーン世代の新鮮な顔ぶれを配して、この年齢の微妙な気分を醸し出した。

 

この作品はキネマ旬報ベスト・テン11位に選ばれるとともに、若い読者に支持されて読者のベストテン9位に入っている。『翔んだカップル』は79年に設立された意欲的な映画製作会社キティ・フィルムの製作により、東宝の映画館で公開された。

 

次の『ねらわれた学園』(81年/監督・大林宣彦)は、角川書店が刊行する眉村卓の小説を映画化したもので、『犬神家の一族』以来映画界でヒットを連発する角川春樹事務所の製作、東宝配給である。

 

大映が倒産し、日活がロマンポルノ路線に転じた後、日本映画界の3大企業だった松竹、東宝、東映は、自社製作の本数を激減させ、角川春樹事務所やキティ・フィルムのような外部製作会社の作品を上映することが多くなっていた。

 

★主演作の興行的な強さ

 

人気絶頂の薬師丸は、デビュー作以来の縁で角川春樹事務所の看板スターになっていく。

 

その位置づけを明確にしたのは、82年の東映お正月映画として公開された『セーラー服と機関銃』(81年/監督・相米慎二/脚本・田中陽造/原作・赤川次郎)だった。

 

真田広之主演の『燃える勇者』(81/監督・土橋亨)との2本立て番組は、この年の日本映画興行ベストワンとなる。

 

セーラー服の女子高生が零細やくざ組織の組長となり、クライマックスでは機関銃をぶっ放すという意表を突いた奇想天外な話を成り立たせたのは、薬師丸のスターとしての威力以外の何物でもなかった。

 

硝煙に包まれたヒロインが放つ「カ・イ・カ・ン」という呟きは、流行語になったほどである。また、彼女の歌う主題歌『セーラー服と機関銃』もヒットして、上々の歌手デビューを飾った。

 

82年の1年間、大学受験のために休業宣言した薬師丸ひろ子は、『探偵物語』(83年/監督・根岸吉太郎/脚本・鎌田敏夫/原作・赤川次郎)でスクリーンに復帰する。

 

角川映画の男優トップスターであり、既に日本映画を代表する男優と目されていた松田優作との共演も衝撃を与えた。

 

女子大生役の薬師丸と、彼自身が主演した人気テレビドラマ『探偵物語』(79〜80)をふまえた飄々たる私立探偵役の松田とがラストの空港シーンで交わす熱いキスシーンはファンの胸を大いに騒がせたものである。

 

お嬢様女子大生とそのボディガードに雇われた探偵が殺人事件に巻き込まれ、その真相を探るうちに恋仲になる。

 

この作品も大ヒットし、『南極物語』(83年/監督・蔵原惟繕)という日本映画の興行記録を塗り替えた映画があったために年間興行成績2位に甘んじたものの、前作をさらに超える興行成績を収めた。薬師丸の歌う主題歌『探偵物語』も同じく大ヒットする。

 

この時期、映画も歌も、彼女が関わるものはすべて大ヒットする売れっ子ぶりだった。

 

時代劇スペクタクルに挑んだ84年お正月映画『里見八犬伝』(83年/監督・深作欣二)も84年度トップの成績であり、次の『メイン・テーマ』(84年/監督・森田芳光)とで1、2位を独占している。郷ひろみや山口百恵の主演作でも年間興行成績のトップに立つほどではなかったのと比べると、薬師丸主演作の興行的な強さがわかるだろう。

 

★代表作『Wの悲劇』の素晴らしさ

 

薬師丸ひろ子の代表作と言っていいのが、続く『Wの悲劇』(84年/監督・澤井信一郎/脚本・荒井晴彦、澤井信一郎/原作・夏樹静子)である。

 

この作品は毎日映画コンクール日本映画大賞、キネマ旬報ベスト・テン第2位に輝き、原作小説を全てといっていいほど根本的に改変した脚本は毎日とキネマ旬報で脚本賞を獲得した。

 

薬師丸はブルーリボン主演女優賞を受賞している。わたしも、『キネマ旬報』のベスト・テン4位に選び、脚本賞は荒井・澤井コンビに投票した。

 

薬師丸演じる劇団の研究生は、公演で役をもらうために、演技修業をするだけでなく人気俳優に身体を提供したり端役ながら出演者全員の科白を覚えておいて代役到来に備えたりの努力を重ねる。

 

その舞台への執念が、大女優のスキャンダルの身替わりになることで大役を得るチャンスを生むのである。

 

その過程の中で、一人の娘が女優として逞しく踏み出す成長ぶりが、生理感覚と心理感覚の双方を駆使して表現されていく。

 

このヒロインを見守る男を演じたのは、『あんたのバラード』(77年)、『燃えろいい女』(79年)などのヒット曲を持つロックバンド世良公則&ツイストで知られ、解散後はソロ活動をするとともに人気テレビドラマ『太陽にほえろ!』にレギュラー出演するなど役者にも挑戦していた世良公則だった。

 

身替わりが発覚してボロボロになったヒロインが、再出発に際し敢えて毅然として彼と別れるラストは、薬師丸自身が大人に脱皮するのを感じさせた。

 

ただ、この時期の薬師丸は、女優業を続けることに疑問を感じ始めていたという。85年に角川春樹事務所から独立し、自力で歩む決心をする。それは、『Wの悲劇』のラストでのヒロインの決意と重なって見えた。

 

(つづく)

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