akane
2018/10/04
akane
2018/10/04
ADHDの人に良く見られる行動はいくつかありますが、なくしものや忘れ物も代表的なものの一つです。
ADHDの人に良く見られる行動にあてはまることが多くても、即、ADHDという診断にはなりません。ADHDの診断は、これらの行動にどの程度あてはまっているかだけではなく、本人や家族などの第三者から話を聞き、幼少期の様子がわかる客観的な資料や、様々な神経心理的検査の結果をふまえ、1~2か月をほどかけて行われるのだそうです。
『もしかして、私、大人のADHD?』の中で中島美鈴先生はこのように述べています。
物を紛失してしまうことは誰しも経験のあることです。
しかし、ADHDの人の場合、家の鍵やパスポート、財布のような重要度の高いものであっても、1年のうち複数回紛失してしまいます。紛失の頻度は、「忘れっぽい人」で想像されるイメージ以上です。
ADHDの診断を受けている人でも、どんな特性があるか、どの程度重症かは異なるのだそうです。また、どの特性が特に出てきているのか、どの程度生活に支障をきたしているかも違うのだそうです。
本書では、ADHDの特性のために「生きづらさ」を解決する対処法を紹介していますが、これまでもそういった対応方法について、「それができたら最初から苦労しない」という声もあります。ですが、そういう人こそ、あきらめていただきたくないと中島先生は述べられています。
どうしても対応方法でつまずいてしまうという人は、まず、ご自身ができずに困っていることの原因が、どのADHD特性なのかを確かめるところから始めてみましょう。
ADHDの診断を受けていない人で、障害とまではいえなくても、この三重経路モデルによる「苦手」の分析をし、自分の行動の傾向を把握することは、最も効果的な工夫を探すためにも役立ちます。
中島先生は、ADHDの診断を受けた人やADHDタイプの人がうまく生活していくためには、三つの原則があると言います。
ひとつは、自分のADHDの特性を受け入れることです。
これまでは「怠けだ」とか「だらしない」と思っていた自分の行動について、
本人も、周囲の人も、本人の失敗を怠け癖や教育の不足といったことで責めるのではなく、できないことは実はADHDのために起こっていたのだと受け入れて、理解していきます。このプロセスで大事なのは、本人の自尊感情を傷つけないということです。
二つ目は、その人に合った対処法があるということです。
こうするべきという正解はありません。自分が生きやすくなる方法を考えるのが基本です。それが一番困っていて、改善したいと思う部分から始め、そのやり方も個々のライフスタイルに合わせたやり方でよいのです。
三つ目は「普通」になることを目指さないということです。周囲の人であれば、ADHDの診断を受けている人やADHDタイプの人に自分と「同じ」を求めないということです。
ここで言う「普通」とは、ADHDではない人基準の「普通」です。違うのだということをお互いに受け入れることで、神経をすり減らすのをやめることができると中島先生は言います。
ADHDの診断を受けている人やADHDタイプの人には、ADHDではない人にはない特性があります。得意不得意のでこぼこがあったとして、それを平らにならすことは、大変苦しいことですし、もったいないことです。自分らしさを削り取ってしまいます。
ADHDの人の中には「自分はマイナスだ。これをどんなにがんばってもがんばってもやっと0になるだけ。普通の人がなんにも意識しないで0ができるのに!」と言う人もいます。こんなふうに考えながら日々生きていくには、人生はあまりに長過ぎます。
自分の何が良いところなのかを自覚できないと感じている人もいると思いますが、他の人にはものすごく苦痛に感じることが、自分にはまったく苦にならないことだったという経験を持つ人もいるのではないかと思います。
自分のよいところ、自分にしかできないことは、もうすでにやれていることかもしれません。そうしたものを見つけてほしいと中島先生は言います。
対処法は、「私は、私らしく」生きていくための、いきやすくなるための補助的なものなのです。
*
この記事は『もしかして、私、大人のADHD?』(光文社新書)より一部を抜粋、再構成してお届けしました。
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.