ryomiyagi
2020/07/18
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2020/07/18
『サキの忘れ物』
新潮社
芥川賞をはじめ多くの文学賞を受賞している津村記久子さんは、何か特別な事件が起こったり、すごく個性的だったり特徴的だったりする人が活躍したり、というような非日常をあまり描きません。むしろ、作品に登場するのは日常に疲弊しつつもしっかり働いて地に足をつけて生きるごく普通の人々。読み手はそこにいっそうの親近感を覚えます。
新刊『サキの忘れ物』も、そんなどこにでもいそうな人々を描いた短編集。それぞれが抱く思いと人生が動きだす瞬間を丁寧にすくい上げ、随所にユーモアを交えながらつづられた9作品が収録されています。
表題作は、病院に併設する喫茶店でアルバイトをする千春の物語。高校を中退し、夢中になれるものもない千春は本を最後まで読んだこともありません。ある日、常連客が忘れた『サキ短編集』の文庫本をふと持って帰り……。第3話「ペチュニアフォールを知る二十の名所」は旅行代理店の人間が旅先として架空の町・ペチュニアフォールを客に勧める、という形で進みます。町の観光スポットと合わせて歴史を紹介するのですが……。第6話「行列」は“あれ”を見るために何時間も並ぶ人々と、並んでいる間に起こる場所取りやズル、グッズ購入などがシュールに描かれます。ほかに6本の短編が収録されています。
「表題作は、病気が治ったときやお見舞い相手が退院したり亡くなったりしたら病院で仲よくなった人とは離れてしまうのか、という興味が出発点。そこから、病院の喫茶店でアルバイトをする、誰からもまともに取り合ってもらえない若い女性の人生が変わる話を書きました。常連客が忘れた文庫をサキの短編集にしたのは、薄いのに21作品も収録されていてどれもはずれがないからです。どの作品もシュールで変なヒューマニズムがないのもいい。何のことだかわからない小説に手を出し、誰も意図していないのに女の子の人生が変わるという話にしたかったんです。壮年女性が若い女性を哀れに思って本を勧める、などというのはつまらないし、そもそも押しつけがましいのは嫌で(笑)。
『行列』は私が行列というものが大嫌いなことがきっかけ。それから、お花見のスポットでテントを張っている人たちが気になったこともそうです。花見なのに場所を占有し、しかもテントの中で過ごしている異様さ。ほかにも、身なりは上品なのに列を飛ばしたり通行人を嘲笑う老夫婦を見たことがありまして……。それで行列と人間が持つ占有に対するものすごい欲望を絡め、図々しすぎる人への憎しみを込めて書きました(笑)。
“私は見てるぞ、忘れへんし、しかも書くよ”という感じです」
いずれも読み応えのある作品ばかりですが、津村さんは「どの小説も実はあまり自信がなかった」と漏らします。
「今年の1月に文庫化された『浮遊霊ブラジル』は見るからに変な小説でしたが、今回はパンチがあるのかないのか自分でもわからなかったんです。ですが1冊にまとめて通しで読んでみると、意外にどの作品にも個性があり、厚い内容の本になっていたと気づきました。
改めて本を読むことには意味があると思っています。ネットで満足することもありますが、動画配信などは選ぶものが多すぎて選択すること自体がストレスになることも。ですが、本は手に取ってみて自分に合えば、読み始めると1週間くらいそれだけで楽しめます」
作品に通底するのは、まっとうに生きている人への深い情。いろんな角度から津村ワールドを堪能できる、心温まる一冊です。
おすすめの1冊
『サキ短編集』新潮社
サキ/著 中村能三/訳
「日本のSFやホラー作品にも多大な影響を与えた、サキの代表的短編を21本収録した作品集です。サキのように書く人は、ネットでは意識して探さないと見つけられません。とても短いので読みやすくお勧めです」
PROFILE
つむら・きくこ◎’78年大阪市生まれ。’09年「ポトスライムの舟」で芥川賞、’11年『ワーカーズ・ダイジェスト』で織田作之助賞、’13年「給水塔と亀」で川端康成文学賞、’16年『この世にたやすい仕事はない』で芸術選奨新人賞、’17年『浮遊霊ブラジル』で紫式部文学賞、’19年『ディス・イズ・ザ・デイ』でサッカー本大賞、’20年「給水塔と亀(TheWater Tower and the Turtle)」(ポリー・バートン訳)でPEN /ロバート・J・ダウ新人作家短編小説賞を受賞。
聞き手/品川裕香
しながわ・ゆか◎フリー編集者・教育ジャーナリスト。’03年より『女性自身』の書評欄担当。著書は「若い人に贈る読書のすすめ2014」(読書推進運動協議会)の一冊に選ばれた『「働く」ために必要なこと』(筑摩書房)ほか多数。
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