「戦争のときはもっと決定的だった」寂聴語るコロナ時代の心がまえ
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ryomiyagi

2020/08/12

先生が毎年楽しみにしていた阿波踊りも中止に(写真は2008年8月)

 

この数カ月、朝のワイドショーは「昨日のコロナ陽性者数は……」といささかの増減を繰り返しつつ右肩上がりに増えて行く不気味なだけの数字の羅列から始まる。
そして前夜の、もしくは最新の、西村新型コロナ対策担当大臣や都知事の記者会見の様子と、それに即した(?)分科会メンバーの会見内容を比較検討してみせる。しかしその内容は、別段、比較検討するまでもない、どちらもどなたも、耳をそばだてなければならないようなことは言ってない。至極当然、家庭ですら言わなくなったようなことを人を集めてしゃべっているだけだ。

 

自らすすんで「リーダーシップを取らせてください」と宣言し、他を押しのけてそのポジションに就いた方なのだから、何か一言、聴く者を導く言葉を口にして欲しい。もしくは、好むと好まざるもナビゲートを委ねられたなら、少しぐらい耳が痛かろうと、迷える市民を厳しく叱る力強いアドバイスを提示して欲しい。などとTVの前で一喜一憂するだけ一般市民などお気楽なものかもしれないが、それでも彼らの言葉に今日も明日を賭けるしかない存在なのだ。
そんな中、『寂聴先生、コロナ時代の「私たちの生き方」教えてください!』(光文社刊)から、幾つもの心安らぐ言葉が聞こえてきた。

 

寂聴先生に問いかける形で市民を演じる秘書の瀬尾まなほさんの、いかにもと思わせる単純で軽妙なクエスチョンがわかり易い。
まなほさんが「やっぱり信頼している人が『大丈夫』と言ってくれるから、『大丈夫かも』と信じられるところがある」と言葉を繋げば、先生が「だいたいみんな大丈夫なんですよ」と結ぶ。
この「大丈夫」には、数値の裏付けも言質とする根拠すらない。しかし説得力がある。ともすれば宗教家でもある先生の言葉を、まなほさんの単純な問いかけがきちんと生活圏へと引き戻してくれる。そんな軽妙なやり取りがとっても安心感を与えてくれる。

 

まなほ 「まだこれからも第二波、第三波と来るかもしれないし、それまでますます就職難になるかもしれないと思うと、本当に怖いですよね」
寂聴 「でもね、生きているかぎり、道というのは拓けていくんです(中略)新型コロナがいくら恐ろしいと言ったって、姿が見えない気持ち悪いものだって、いつかはやっつけることができる。人間が必ず勝ちます」

 

撮影/篠山紀信

 

このコロナ騒ぎで業績不振に悩む企業が、内定の取り消しや、果ては倒産する様子に、前途に夢を描いた若者たちは驚き戸惑っているに違いない。ましてや、幾つもの関門を乗り越えてやっとの思いで入学してみても、いまだ学び舎に足を運んだことがないという新大学生を苛むやるせなさはいかばかりか……。
そうしてコロナは、身体的な脅威に止まらず、心の中にまで入り込んでくるのだろう。

 

多くの人の日常生活を脅かす新型コロナウィルスは、さらに、エンターテイメント業界を直撃し、お笑いや音楽ライブはもとより、歌舞伎やコンサートなどの舞台芸術までも脅かしている。これらの、一見、私たちの生活にはかかわりの無さそうな、活動そのものが、私たちにとっては非日常だけれども、そんな芸術活動が抑制されていくとはいったいどうんな影響を及ぼすのだろうか。
まなほ 「先生、コロナ禍における芸術の役割は何だと思いますか」
寂聴 「こういうときこそ(舞台などを観て)せめて1時間でも心を違うところに連れて行ってもらいたいわね。自粛自粛というだけでなくて、もっとやればいいのに」

 

撮影/篠山紀信

 

今やマイクを向けられたほとんどの人が口にする「自粛」だが、そんな気味の悪い風潮を、まなほさんが、昭和の不幸な歴史を重ねる。
まなほ 「先生の経験した戦争時代と『新しい生活様式』を呼びかけるコロナ禍のいまがとても似ている気がして……。文化や娯楽が自粛になっていくのとか、そっくりじゃないですか」
寂聴 「いや、戦争のときはもっと決定的だったからね。絶対に反対できなかったから。いまは反対できるじゃないですか」
と、「自粛」と「統制」の大きな違いを教えてくださる。
確かに、エンターテイメントや芸術が教えてくれる「多様性」は、良くも悪くも(統制社会には都合が悪い)目の前の現実の向こう側を想起させてくれる。
加えて、それらが提供してくれる驚きや笑いこそ大切なのではないだろうか。
寂聴 「人間は笑わなきゃダメ。どんなときでも笑えたら、その瞬間に気が楽になります」
こんな風に優しく諭してくれる人が欲しい!

 

子どもの頃。少しばかり運動が得意だった私は、運動会ともなればクラス対抗リレーや徒競走に、果ては応援合戦にまで参入しての大活躍(?)だった。そして迎えた6年生の運動会。小学校最後の運動会の、トリを務めるリレー競技の大トリ・アンカーにもかかわらず、周回コースの最終コーナーで肉離れを起こして転倒してしまったのだ。
気付けば保健室のベッドの上。悔しいやら恥ずかしいやらで涙を流してしまった。そんな私に、当時好きだった担任の教師が言ってくれた「大丈夫よ」が、私の中での「Best of 大丈夫」だ。この「大丈夫よ」の一言に、どれほど救われたか……今思い出してもホッとする自分がいる。
そう、まなほさんは寂聴先生を心から信頼している。だからこそ、先生の「大丈夫よ」が信じられる。信頼できる人から聞かされる言葉だからこそ、心が温まり、救われるのだと思う。
連日のニュースショーに登場する各リーダーに欠落しているのは、数字や財源の根拠ではなく、この何とも言えない信頼感にほか無い。
新型コロナ騒動に明け暮れ、逼塞した観のある今だからこそ、本書で繰り広げられる、母子のような、弟子と師匠のような、心温まるやり取りに救われる。

 

文/森健次

 

『寂聴先生、コロナ時代の「私たちの生き方」教えてください!』
瀬戸内寂聴・瀬尾まなほ / 著
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