寂聴が若者たちにおくるエール「コロナはあの戦争と匹敵するくらい、大きな変わり目になる」
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2020/08/07

写真◎篠山紀信

 

新型コロナの感染者数は、連日1000人を超したまま増え続けている。
コロナ禍をいかにやり過ごすかと世界中が苦悩する中、奔放にして、自身に忠実に生き続けた、作家であり宗教家でもある瀬戸内寂聴さんと、そんな先生をサポートする、秘書であり一児の母でもある瀬尾まなほさんによる緊急法話『寂聴先生、コロナ時代の「私たちの生き方」教えてください!』(光文社刊)が出版された。
このコロナ禍のことを98歳にして初めて迎えた“地獄”という先生は、果たしてどれほどの衝撃を感じたのだろうか。

 

連日TVでは増大する感染者数に一喜一憂し、それを見る国民は嘆め息を漏らす。
この、未知のウィルスに対する為政者の無為と無策に身悶える中、人は何者かの口から光ある言葉を聞きたいと切望しているのではないだろうか。語るべき何者かとして、寂聴さんは最もふさわしい一人だと思う。

 

そんな先生に無心に問いかける秘書・瀬尾まなほさんとの心の距離感が絶妙だ。
決してビジネスライクではなく、ましてや宗教的でもなければ、弟子と師匠の問答でもなく、さりとて母と娘でもない、互いを大切に思う2人が慈しみをもって語り合う様子が本書の中に溢れている。極めて柔らかなタッチで琴線に触れてくる一冊だ。

 

「100年近く生きてきて、初めて出逢った目に見えない敵。あの酷い戦争と匹敵するくらい、大きな変わり目になる―――――」

 

とは、本書の冒頭に掲げられた先生の言葉。
齢100を迎えようとする先生が見つめるWITHコロナの時代とは、果たしてどのような社会なのだろうか? そしてその社会では、私たちは、そして子どもたちはいったいどのように生きればいいのだろうか?

 

「いつだって17時にはあなたたちスタッフはみんな帰ってしまう。それからは、夜中もずっとひとり。その時間がとてもいい。
ひとりでいることはとても心が落ち着く。寂しくなんかない」
と「ひとり」を礼賛する。そこに「お一人様ストレス」などの懸念は無用なのだとエールを送られた気がする。そして、
「だいたいみんな大丈夫なんですよ。」
と、いかにも先生らしい慰め方をしてくださる。

 

写真◎篠山紀信

 

ご自身の戦争体験などを交えながら、最悪と思える時をいかに過ごすか、そしていかに立ち上がるか、そのバイタリティとエネルギーは何によって発動するかを、さらに優しく語り聞かせてくれる。

 

しかし、そんな先生の語り口調が変化したのが、現政権についての一言だ。
「安倍内閣は口ばっかりね! もう変わったほうがいい。一生懸命やっているんだけど、なんかピンとこないわね」

 

コロナ危機が唱えられて、およそ半年を経て政府が打ち出したのが「10万円支給」と「2枚の布マスク」である。これをもって国民に「戦え」という、まさに「空襲に竹やり」戦術にしか聞こえない(苦笑)。

 

それでも生きていかなければならない愛児を抱く瀬尾まなほさんが、先生に何度も答えを求めて語りかける。まるで娘が母に、ありもしない子育ての秘訣を問い質すかのように……。そして先生は、不確かながらも、やがて100年を数えようとする経験則と思いを込めて、これまた懸命に言葉を紡いでいく。

 

まなほ 「いままでは街に近いほうが便利だと思っていたんですが、新型コロナになって必要なのはスーパーと郵便局くらいしかなかった。毎日オシャレする必要もなく、外食にも行けないなら、街の中心に住まなくてもいいんじゃないかって」
寂聴 「確かにそうね。住む場所や働き方など、『こうでなければならない』という固定観念が崩されて、新しいスタイルを選択できるようになったのかもしれない。ただし、何を選んだとしても、この先が、いまよりよくなるかはわからないわね」

 

口調こそ優しいが、そこに安心は担保されていない。
俗世を離れてまでも思索と執筆に身を捧げる先生ですら、アフターコロナに光明は見出せないのかも……。

 

 

「大自然の驚異に対して、知識は限界があるんです」
2011年3月11日に発生した東日本大震災の折、地震・津波、そして福島第一原発のメルトダウンと被災者を襲う、相次ぐ災害に先生はそう感じたと語る。

 

そして、今後どうなるかわからない現代社会を「無常」にたとえながらも、「無常」とはマイナスの言葉ではないと。
「無常」とは、
「いまは悲しくてもやがて慰められるときが必ず来るということ。どんな困難な不安も、あきらめない。人間の知恵で必ず収められる」
と語る向こうに、人間の英知を信じる先生ご自身の葛藤が見て取れる気がした。

 

対岸の火事としていたアメリカの惨状こそが、その最たる見本ではないだろうか。
「対価を支払える者だけが受けられる医療システム」では防ぎようがないのが感染症。なぜなら、どんなに自分ひとりが注意していても、どこかの誰かが感染した時点で等しく危機にさらされるからだ。そんな感染症が、SARS、MERS、インフルエンザと、不規則ではあるけれど定期的に出現しているから怖い。そしてそれは、今回の新型ウィルスに止まることなく、今後も確実に襲来するに違いない。にもかかわらず、医療先進国・日本は何らの対抗手段を持っていなかった。

 

感染症に対する備えは、それに対応する十分な資源と設備の備蓄以外にはない。けれども、このいつ来るかわからない感染症に対する備蓄を、「医療費削減」の施策と「コスパ」の風潮が少しずつ少しずつ削っていく。
果たして私たちは、この、いまだに「成長経済」を唱える国家システムを、来るべきアフターコロナに備えて整備していけるのだろうか。これからの時代を生きる私たちに突き付けられた、大きな課題なのだろう。

 

この本の中で、先生が一つの解決策を提示している。
それは、このコロナ禍における政治の不手際を目の当たりにした若者たちが政治に興味を持つこと。

 

「ひとりでは戦えない。だから同じ望みをもっている人が集まって、力を結集して戦うしかないんじゃないかしら。もしくは志の高い思想を持った優秀な人が革命を起こしたらいいのよ(中略)若い人にはそういう風に感動する力がある!」

 

コロナ禍を乗り切るべく、今の社会システムを変革するには、若者たちによる革命が必要だと、昭和の文壇に革命を起こした98歳の作家・瀬戸内寂聴が吼える。
それは、21世紀に生きる若者たちへのエールだ。

 

文/森健次

 

 

『寂聴先生、コロナ時代の「私たちの生き方」教えてください!』
瀬戸内寂聴・瀬尾まなほ / 著
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