ryomiyagi
2020/11/30
ryomiyagi
2020/11/30
2020年12月22日に、星の世界では木星と土星が重なる「グレートコンジャンクション」が起こる。“グレコン”自体はおよそ20年に一度の割合でやってくるが、これまでおよそ200年は、基本的に「土の星座」(牡牛座、乙女座、山羊座)で起きたのに対し、この12月以降しばらくは「風の星座」(双子座、天秤座、水瓶座)で起きる。そのことをもって占星術界隈では「風の時代の始まり」と言われていたりする。
200年レベルでの大転換点を前にした目下は、おそらく“土の時代の総仕上げ”のターム。8月終わりの怒涛の宿題ラッシュみたいに、ここからのひと月弱は、やり終えねばならぬことと猛烈に向き合う時間となるのだろうか……? そうした重要な現在地点、空の太陽は射手座に位置している。射手座を知ることで、太陽のパワーを味方につけられるかも、と『星2.0』の射手座のページを開いた。
個人的なことでいうと、射手座にアセンダントがある。アセンダントとは、生まれた瞬間の地平線軸と太陽の軌道(黄道)が交わる点のことで、その人の「無意識レベルの状態」「過去生からのエネルギー」などを表すとされている。“無意識レベル”であることにより本人に自覚はないが、他人からは「そういう人」と見えるのだそう。自分の姿だけはどうしたって見ることのできないこの世界を象徴するようなポイントなのかもしれない。
自分にとってそのような星座なだけに、これまでの太陽星座、月星座とは読んでいて感触が少し違った。わかるようなわからないような、でも、ものすごくわかるような妙な感覚。毎度、『星2.0』を読む際は、ノートを広げ、文章から喚起されたいろいろを書き留めているのだが、そのメモにはこう記してある。
『射手座を読んでいると、遠い記憶を呼び覚まされるかのような不思議な感覚。自分が自覚していない自分とは、たとえばずっと音が鳴っているところでは“音”はもはやカウントされない的なことと似ているのかもしれない』
本を読むことの悦びの最たるものの一つに、こうしたことがある。忘れていた自分を思い出したり、「自分とは何であるか」という日頃は蓋をしている哲学の扉が静かに開いたり。そんな“内なる旅”に誘ってくれる本と出合うと、読書する習慣を絶やさなかった今日までの自分に感謝を捧げたくなる。
射手座にて、心に響いた言葉はたくさんあったが、特に以下の一節には点と点が線になるようなケミストリーが起こった。
【(射手座とは)「自分がこうと決めたら、何がなんでもやりぬく」(その裏でどんな犠牲があったとしても)。自分の好奇心や関心、探究心が全てのものに最優先されることから「矢」というのは気持ちいいほどに射手座の本質を表しているのです。】(P260)
私は、月・天秤座の影響か、かなり人の顔色を見るし、場の空気を読んでいるつもり。絶対的に“地雷”を踏みたくない。そうしたことにエネルギーを注いでいるし、それなりに自信もあるのだけど、無自覚に、ものすごく自己中なことをしてしまうことがある。その無自覚な言動を近しい人より咎められ、ハッと赤面し、しばらく落ち込みまくることが人生に何度もあった。でも、それは、仕方がないのかもしれない。基本設定として「自分の関心を最優先にしてしまう」質が備わっているのだから……!
yujiさんの言葉に「#星のせい」というものがある。この文言は解釈の幅があるが、もちろん、責任を星になすりつけようという“責任放棄”ではなく、「変えられないことは変えられないのだから、受け入れましょう」といったことを意味しているのだろう。あきらめることが最善というビターな現実は、きっと誰にもあるものだ。
自分のホロスコープを深く読むことの効能はいくつもあるが、「これでいいのだ」と今日の自分を受容できることが、何よりもありがたい。
何が正解か、そもそも正解などあるのかもわからないが、大転換期を前に、今日まで生きてきた自分を「よくやってきた!」とまずは大いにねぎらいたいと思う。
『星 2.0』光文社
yuji /著
文・絵/野村浩平 友人の“遊びの鑑定”を受けたことにより星に興味を持つ。2018年に占星術の基礎講座を受講し、以後マイペースに独学中。太陽星座はふたご座。星のことや身辺雑記を綴るブログ「leeの話」
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