ジェンダー、ハラスメント……倫理について考え、問い直すことは時代を生き抜く術を探すこと
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BW_machida

2021/06/23

2018年に中国の研究者が遺伝子操作で子どもを誕生させた。その際に、世界中から非難の声があがったことはまだ記憶に新しい。iPS細胞を中心にした万能細胞による再生医療、医学部で性別や年齢などの不当な操作が露見した事件、新型コロナウイルス感染症の真っただ中、世間では感染者や関係者への差別や非難が起こった。ジェンダー問題、ハラスメント、転売問題、デマの流布…。私たちはあらゆる場面で「良いこと」と「悪いこと」に向きあうことを求められる。それもそのはず、人間社会では倫理の問題を避けて通ることはできないのだ。

 

そもそも、倫理とはいったい何のことなのか。この問いに答えるのが、まず難しい。人びとがある事柄を「倫理的」とか「道徳的」と言うとき、それはもっぱら「社会での人間関係に関わるルールのようなもの」を指している。人を傷つけてはいけません、とか嘘つきは泥棒の始まりといった言葉は、使い古された感があるが社会生活を営むうえで守るべき規律として、一人一人の胸にくっきりと刻まれている。18世紀ドイツの哲学者カントは、自らの理性がもたらす無条件の判断に自律的に従うことに道徳性を見出した。哲学をはじめ論理学や経済学でも優れた業績を残したジョン・スチュアート・ミルは、倫理を私たちが幸福になるために役立つ技法の一つとして理解していた。しかし、倫理のルールと社会での人間関係にかかわるルールを単純に同一視することはできない。倫理の問題は、もっと複雑だからだ。

 

著者によると、大学で哲学を研究し、小説家でもあるアイリス・マードック(1919~1999)は、倫理を次のように捉えていたようだ。

 

「彼女の考えでは、倫理や道徳とは、食器棚のティーカップのように世界の側に存在している何か、私たちが自由に選ぶ何か、とは違っています。むしろ、私たちが世界をどう捉えるか、私たちに世界がどう見えているかという事柄そのものが倫理である、そう彼女は主張します。」

 

マードックの考える道徳的な違いとは、同じ事実を与えられての選択の違いのことではなく、視え方の違いなのだという。カメラのレンズを想像すると分かりやすいかもしれない。

 

「レンズには世界を歪めて見せるものもあれば、正確に見せるものもあり、鮮やかに色を浮き立たせて見せるものもあれば、逆に色を消し去ってしまうものもあります。より歪みが少なく、世界をありのままに見せるレンズが、優れた倫理や道徳であり、私たちはそうしたより優れたレンズを通してこそ、世界を映しとるべきだということです。」

 

こうした考えの背景にあるのが、私たちは道徳の外側に立って物事を見ることができないという発想だ。もし倫理というものが、私たち各々のものの見方が世界の側に浸透した結果として存在するのだとしたら、たとえば友人に対する倫理的に正しい接し方(あるいは誤った接し方)を予め決めておくことなどできない。だからマードックは、「愛をもって正しく見つめることこそ、倫理にとってもっとも重要なこと」と考えた。

 

私たちが倫理の問題と衝突するのは、人間関係においてだけではない。新しい科学技術との出会い、未曾有の出来事など従来の方法論が通用しない場面に遭遇したとき、人びとはこれまで基準とされていたことを問い直すことになる。こうしたものは突然外からやってきて、それまでの日常をがらりと変えてしまう。倫理について考え、問い直すことは、そうした出来事を乗り越えて再び日常をとり戻し、生き抜く術を探すことでもあるのだ。これは今の時代にこそ、再考すべき問題かもしれない。

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「倫理の問題」とは何かメタ倫理学から考える

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