BW_machida
2021/07/26
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2021/07/26
2021年2月、田村憲久厚生労働相が「孤独担当相」を兼務することとなった。これは、2018年1月に英・メイ首相(当時)が「孤独は心身の健康を著しく損なう」として、世界に先駆けて制定した「孤独担当大臣」を受けてだろうが、日本における「孤独観」とは一体どのような状況にあるのだろうか。
『孤独は社会問題』(光文社新書)の著者は、ロンドンに暮らしながらイギリス社会を長年見続けてきたジャーナリスト。北欧諸国と同じく、先進的な社会保障を制度化しているイギリスが、いかに人々の孤独と向き合っているかをレポートした一冊だ。
私たちが「孤独」というキーワードから連想するものがあるとしたら、それは間違いなく「孤独死」だろう。そして「孤独死」は、「老々介護」とか「貧困老人」など、さらに厳しいワードを連想させる。
一人暮らしの老人が、誰にも看取られることなく死亡する。
現代日本では、これを「孤独死」と称して顕在化した社会問題としているが、本書で言う「孤独」と私たちが耳にしている「孤独死」とは意味が異なる。
「孤独死」とは、その方が置かれた状況であり、本書の言う「孤独」とは当人による感覚である。
英国赤十字社は約6560万人の人口のうち、「常に」または「しばしば」孤独を感じる人は900万人以上いると報告している。約7人に一人という計算だ。ただ、孤独であるとは認めない「隠れ孤独」も少なくないだろうから、実際はこれ以上の数字が予想される。
(中略)
英国家庭医学会によると、孤独は肥満や一日15本の喫煙以上に体に悪い。孤独な人は、社会的なつながりを持つ人に比べ、天寿を全うせずに亡くなる割合が1・5倍に上がる。
(中略)
孤独が原因の体調不良による従業員の欠勤や生産性の低下で、雇用主は年に約3560億円の損失を被っているとの調査もある。75歳以上になると半数以上が一人暮らしだ。障害者は、半数が絶えず孤独を感じている。孤独で生じる経済的損失は、約4.8兆円に達するといわれる。
近年、日本でも「統合失調」とか「鬱」など、様々な精神疾患に対する意識が少しずつだが進歩してきたように思う。かつては「気の病」と一括りにされがちだった病の多くが、単なる「時間経過」や「気晴らし」では治せない、医学的な治療を要するものとして認識されてきたように思う。
それでもまだ、孤独が病だという認識を持っている人はとても少ないように感じる。前述した「孤独死」以外に連想することと言えば、「お一人さま」だったり「引きこもり」的な、どこか揶揄するようなネガティブなワードばかりが思い浮かんでくる。
と同時に、自ら好んでそう振舞っているかのようなニュアンスで口にされることが多く、まだまだ日本では孤独を深刻な社会事情とは捉えてはいないように思う。
本書によれば、今や先進諸国では人々の孤独がもたらす経済的な損失を真剣に議論されているのに対して、日本における「孤独」の経済的波及効果は、「一人呑み」とか「一人焼肉」などといった志向の多様性として捉えられがちだ。
対して英国では、英国最大のコーヒーチェーン・コスタコーヒーの店内に「おしゃべりテーブル」なる他人との相席テーブルを設けたり、夜の図書館に誰もが自由にマイクを使って、語りかけても、歌っても、詩を朗読してもいい「オープンマイク」を設けたりしている。
再びイギリスに目を向けよう。イギリスでは、孤独対策として「メンス・シェッド(男たちの小屋)」が注目を浴びている。「シェッド(shed)」とは、小屋や納屋を指す。定年退職した男性は居場所を失い、孤独に陥りがち。そうした状態にならないよう、地域のメンズ・シェッドに集まり、一緒に手を動かす。仕事は主にDIYだ。テーブルやベンチをこしらえて地域の公園に設置するのもいいし、学校に手作りの遊具を寄付してもいい。自宅に飾る壁掛けを制作しても、むろんよい。
このメンズ・シェッドは、もとはオーストラリアで始まった活動だが、今ではイギリス国内でも盛んに行われているらしい。
近年日本でもDIYは結構な流行となっている。しかし、いざやろうとすると、そこにはちょっとした専門的知識や道具が必要だったり、ましてや作業をする場所すらなかなか賄えないのが現実だ。そんな折に、町内のどこかに行けば、そこには同じくDIYに興味を持つ誰かが居て、情報や技術やアイデアの共有ができたなら楽しいに違いない。
と同時に、孤独ではなくなる。
イギリスの孤独対策は、政府の施策を待つまでもなく、人々のアイデアですでに生まれているようだ。知恵を働かせ、仲間を募り、機会を生かして、孤独と戦うすべを見つけている。大工仕事、音楽、スポーツなど何でもよい。人と集うことだ。
先日、東京都には四度目の非常事態宣言が発出された。
先年発出された最初の非常事態宣言に比べて、2回目3回目…と回を重ねるごとに宣言を嘲笑うかのような大量な人流を都内のそこかしこに見ることができる。
朝の山手線は通勤通学ラッシュに湧き、渋谷のスクランブル交差点では、黒山のような人波が蠢いている。そして夜ともなれば、時短営業や酒類の提供自粛を尻目に、会社帰りのサラリーマンや若者たちによって、公園のベンチや路地が即席の宴会場と化している。
そんな、孤独とは真逆にあるような風景の向こうで、現代人に潜む孤独感は確実に社会は蝕んでいるように思う。
コスタ(前出のコーヒーショップ)のアンケート調査によると、イギリスは次第に「他人と口を利かない国」になってきている。75%もの人が、もっと人とじかに話したいと願っている。顔を合わせて、おしゃべりをしたい人が多いのだ。
趣味や嗜好が多様化し、TVはもとよりPCや携帯によってSNSやゲームに興じる現代人にとって、それぞれが感じる孤独感は一層難解なレベルにあるのかもしれない。
それにしても、かつて「10年」とされた「ひと昔」が、今や2~3年に感じる現代社会で、恐らくはすさまじい勢いで侵食しているに違いない孤独を、もっと意識的に捉えた方がいいのではないだろうか。
文/森健次
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